Re: 沖縄集団自決の真実 富村順一
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/05/04 17:03 投稿番号: [68192 / 73791]
私は大城さんの自殺を考へ(ママ)た場合、まだ沖縄戦は終わって
ないんだと思うと同時に『鐵の暴風』や沖教組が捏造した
座間味戦記を書かなければ、このような自殺は出なかった訳です。
故に私は仮(たと)え手足が不自由でも、車椅子で外へ出かけることが出来る、
今度の大江裁判でも傍聴して、加納であれば事実を訴えようと思い、
裁判所へ行きましたが、残念ながら、傍聴出来ず帰ってきました。
その後、大阪の関係者から二回ほど話を聞きに来ましたが、初対面であり、
どのような方かよく分からないので一部始終は話していません。
だが、先生のお手紙を読み、劇場のママからも、知ってること思ってる
ことを全部包み隠さず先生にお伝えするようにと云われておりますので、
私も知ってることを包み隠さず先生にお話しようと思います。
座間味との出会い
私が座間味島に行ったのは
座間味戦記を書くことが目的ではありませんでした。
1960, 70年頃、私は東京の練馬区にいました。
当時私は、愛犬を連れて毎日、朝早く練馬の駅の前を散歩してましたが、
駅の前に『世界日報』という新聞が箱に入れられ、
「三十円を入れて、自由にお取り下さい」と張り紙がありました。
幼い時から余り良い人生を送ってないので、三十円の金を入れずに毎
日のようにその新聞を読んでいました。
ある日のこと、沖縄出身の宮平という牧師のことが記事になりました。
その牧師がインドネシアに於いてインドネシア解放、独立のために
日本軍から武器を譲り受け解放戦線に渡し、
その先頭に立ってインドネシア軍と共に戦ったという記事でした。
私はそのような素晴らしい沖縄人がいたかと思い、連載されたその記事を
読み、いつかそのことを本に書いてみたいと思い、座間味島に行きました。
役場に行き宮平牧師を捜したところ、親戚の宮平さんという方で島一番の
お年寄りの家を訪ねて行きました。
私が宮平牧師のことを話すと、そのお爺さんは「あゝ、あの中野無線〔注〕か。
あいつがインドネシアで日本軍から武器を引き取り、
解放軍と共に戦ったことはよく知ってる。
中野無線のことだからオランダ軍のこともよく知ってる。
だから彼は解放軍の一指揮官として戦った。
そのインドネシアのことよりは、この座間味戦記を書いてくれ」
と話しながら、お爺ちゃんは押入れから四冊の本を取り出してきました。
『鉄の暴風』『家の光』『沖縄県史』、沖縄県教職員組合が書いた『沖縄戦の真相』。
この四冊の本をテーブルの上に置き、手拳を振り上げて本を叩き、
「この四冊の本は嘘なんだ。
梅沢隊長が自決命令を出したというのはまるっきり嘘、
自決は我々村の有志が決めたものなんだ。
このようなことを書かれたのでは、お国のために日本の勝利を願い自決して
いった校長や村長郵便局長の魂が浮かばれない。
何とか真実を公表できないものか。
座間味戦記が小中高校の副読本になって嘘の教育をさせられてきた。
それが大きな問題だ。
君に頼みたいことがある。
賢い人が出来なくても、余り賢くない人が出来るものがある。
君は学校へも行ってない。が、失うものもない。
何でも云うことを云ってきた。書いてきた。
是非真実の座間味戦記を書いて欲しい。
そうでなければ死んだ人は浮かばれない。
梅沢隊長は慰安婦と爆死したとどの本にも載っているが、爆死した
梅沢隊長を見た人はいない。場合によっては生きているかも分からない。
ここに復員名簿がある。これをお前にやるから、これをもって暇のあるときには
訪ねて行き、島の戦記を聞いて欲しい」と頼まれました。
そうして封筒に足代として十万円ほどの金を入れて私に下さいました。
あの宮平のお爺さんの、怒っているのか悲しんでいるのか判断のつかぬ
顔を見た時に、もしかしたら自決命令はなく、捏造された戦記ではないかと
考え、東京に帰ってから、暇な時には、復員軍人の名簿を頼りに
約30人の復員軍人の家を訪ね歩きました。
〔註〕中野無線・・・中野学校のこと。同校は「陸軍通信研究所」の
門札を掲げていた。宮平牧師が中野学校出身なのでこう呼んだ。(中村)
つづく
ないんだと思うと同時に『鐵の暴風』や沖教組が捏造した
座間味戦記を書かなければ、このような自殺は出なかった訳です。
故に私は仮(たと)え手足が不自由でも、車椅子で外へ出かけることが出来る、
今度の大江裁判でも傍聴して、加納であれば事実を訴えようと思い、
裁判所へ行きましたが、残念ながら、傍聴出来ず帰ってきました。
その後、大阪の関係者から二回ほど話を聞きに来ましたが、初対面であり、
どのような方かよく分からないので一部始終は話していません。
だが、先生のお手紙を読み、劇場のママからも、知ってること思ってる
ことを全部包み隠さず先生にお伝えするようにと云われておりますので、
私も知ってることを包み隠さず先生にお話しようと思います。
座間味との出会い
私が座間味島に行ったのは
座間味戦記を書くことが目的ではありませんでした。
1960, 70年頃、私は東京の練馬区にいました。
当時私は、愛犬を連れて毎日、朝早く練馬の駅の前を散歩してましたが、
駅の前に『世界日報』という新聞が箱に入れられ、
「三十円を入れて、自由にお取り下さい」と張り紙がありました。
幼い時から余り良い人生を送ってないので、三十円の金を入れずに毎
日のようにその新聞を読んでいました。
ある日のこと、沖縄出身の宮平という牧師のことが記事になりました。
その牧師がインドネシアに於いてインドネシア解放、独立のために
日本軍から武器を譲り受け解放戦線に渡し、
その先頭に立ってインドネシア軍と共に戦ったという記事でした。
私はそのような素晴らしい沖縄人がいたかと思い、連載されたその記事を
読み、いつかそのことを本に書いてみたいと思い、座間味島に行きました。
役場に行き宮平牧師を捜したところ、親戚の宮平さんという方で島一番の
お年寄りの家を訪ねて行きました。
私が宮平牧師のことを話すと、そのお爺さんは「あゝ、あの中野無線〔注〕か。
あいつがインドネシアで日本軍から武器を引き取り、
解放軍と共に戦ったことはよく知ってる。
中野無線のことだからオランダ軍のこともよく知ってる。
だから彼は解放軍の一指揮官として戦った。
そのインドネシアのことよりは、この座間味戦記を書いてくれ」
と話しながら、お爺ちゃんは押入れから四冊の本を取り出してきました。
『鉄の暴風』『家の光』『沖縄県史』、沖縄県教職員組合が書いた『沖縄戦の真相』。
この四冊の本をテーブルの上に置き、手拳を振り上げて本を叩き、
「この四冊の本は嘘なんだ。
梅沢隊長が自決命令を出したというのはまるっきり嘘、
自決は我々村の有志が決めたものなんだ。
このようなことを書かれたのでは、お国のために日本の勝利を願い自決して
いった校長や村長郵便局長の魂が浮かばれない。
何とか真実を公表できないものか。
座間味戦記が小中高校の副読本になって嘘の教育をさせられてきた。
それが大きな問題だ。
君に頼みたいことがある。
賢い人が出来なくても、余り賢くない人が出来るものがある。
君は学校へも行ってない。が、失うものもない。
何でも云うことを云ってきた。書いてきた。
是非真実の座間味戦記を書いて欲しい。
そうでなければ死んだ人は浮かばれない。
梅沢隊長は慰安婦と爆死したとどの本にも載っているが、爆死した
梅沢隊長を見た人はいない。場合によっては生きているかも分からない。
ここに復員名簿がある。これをお前にやるから、これをもって暇のあるときには
訪ねて行き、島の戦記を聞いて欲しい」と頼まれました。
そうして封筒に足代として十万円ほどの金を入れて私に下さいました。
あの宮平のお爺さんの、怒っているのか悲しんでいるのか判断のつかぬ
顔を見た時に、もしかしたら自決命令はなく、捏造された戦記ではないかと
考え、東京に帰ってから、暇な時には、復員軍人の名簿を頼りに
約30人の復員軍人の家を訪ね歩きました。
〔註〕中野無線・・・中野学校のこと。同校は「陸軍通信研究所」の
門札を掲げていた。宮平牧師が中野学校出身なのでこう呼んだ。(中村)
つづく
これは メッセージ 68191 (yume_sarasa1211 さん)への返信です.