Re: 沖縄集団自決の真実 富村順一
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/05/04 16:47 投稿番号: [68191 / 73791]
大城明さんの自殺
私はここ十四、五年間、大衆の前へ出たことがありません。
故に梅沢さんはじめ私の知ってる方には、
私が死んだという噂が飛んでいる現在です。
何故、そのような私が今頃、大江裁判傍聴に行こうと思ったのか、
訳があります。
一昨年(平成17年――中村)の10月1日、大阪西成区の津守公園で
大城明さんという沖縄出身の方が自殺いたしました。
彼は若い頃、ベトナム戦争反対、基地反対、部落開放運動なんかに
首を突っ込んでました。また非常に読書家でもありました。
彼が自殺一週間前、突然私の家に来たのです。私の家に来るなり跪いて
「富村さん、本当に申し訳ありませんでした。
富村さんが練馬区の元町公園で二匹の犬と野宿しているときに、
夜六人の仲間と一緒に襲い、二匹の犬を殺し、富村さんに怪我をさせ、
富村さんが車椅子の生活をするようになったのは私達です。
私がそのリーダーでした。
その理由は、富村さんが書いた「座間味戦記 / 梅沢隊長は生きている
――自決命令はなかった」という『隠された沖縄戦記』を読みました。
沖縄には沖縄の偉い大学の先生や文化人が書いた『鉄の暴風』、
沖縄県教職員組合が書いた『沖縄戦の真相』、『沖縄県史』がある。
それらは何れも自決命令で、梅沢隊長は従軍慰安婦と爆死したことになっている。
だが富村さんは「隊長は生きている」と云う。
富村さんは右翼から金を貰って嘘の本を書いたに違いない。
このような沖縄人はいない方がいい。
二度と本を書けないようにしてやろうと、富村さんを襲い、袋叩きにしたのは
私達で、そのリーダーが私でした。本当に申し訳ありませんでした」
と云いながら鞄から一冊の本を取り出しました。
宮城晴美さんが書いた『母の遺したもの』という本でした。
十年以上も本と縁がなく、新聞も余り読みませんでしたので、
この本が出ていることも全く知りませんでした。
その本をテーブルの上に置き、「梅沢さんは自決命令を出していない、
ましてや、死んだといわれた梅沢さんが健在であることを知りました
。自分たちは取り返しのつかないことをしてしまった。
富村さん、本当に申し訳ありませんでした」と跪いて詫びたのです。
余りに突然のことで、私も宮城晴美さんが本を出したことも知らず、
どのように大城君に返事をしていいやら、言葉を失い、黙っていると、
大城君が
「富村さん、近い中に私は本を読めない所へ行くんだ。
富村さん、この眼鏡はフランス製です。いい眼鏡です。
もしレンズが合わなければ、レンズだけ替えてお使い下さい」
と眼鏡をテーブルの上に置きました。
彼は読書家でもあったので、私は「じゃあ、お前は好きな本を読まないのか」
と云ったところ、「本を読めない所へ行くんだ」と――。
私はその意味をすぐには理解できませんでした。
それから一週間ほど経って、彼の友人が私の家に訪ねてきました。
「実は大城明さんが自殺しました。
彼の部屋に富村さん宛の手紙がありました」と云いました。
彼はその手紙で何度も何度も「申し訳ありませんでした」と詫びていました。
またお母さん達にも、富村さんに迷惑をかけたから、お詫びするようにと
遺言があったようです。
その後、大城君のお母さんやお姉さんからも電話がありました。
「申し訳ない。何か困ったことがあったら連絡下さい。
可能なことはして上げます」ということでしたが、
私は「何も困っていません」と申し上げてお断りいたしました。
つづく
私はここ十四、五年間、大衆の前へ出たことがありません。
故に梅沢さんはじめ私の知ってる方には、
私が死んだという噂が飛んでいる現在です。
何故、そのような私が今頃、大江裁判傍聴に行こうと思ったのか、
訳があります。
一昨年(平成17年――中村)の10月1日、大阪西成区の津守公園で
大城明さんという沖縄出身の方が自殺いたしました。
彼は若い頃、ベトナム戦争反対、基地反対、部落開放運動なんかに
首を突っ込んでました。また非常に読書家でもありました。
彼が自殺一週間前、突然私の家に来たのです。私の家に来るなり跪いて
「富村さん、本当に申し訳ありませんでした。
富村さんが練馬区の元町公園で二匹の犬と野宿しているときに、
夜六人の仲間と一緒に襲い、二匹の犬を殺し、富村さんに怪我をさせ、
富村さんが車椅子の生活をするようになったのは私達です。
私がそのリーダーでした。
その理由は、富村さんが書いた「座間味戦記 / 梅沢隊長は生きている
――自決命令はなかった」という『隠された沖縄戦記』を読みました。
沖縄には沖縄の偉い大学の先生や文化人が書いた『鉄の暴風』、
沖縄県教職員組合が書いた『沖縄戦の真相』、『沖縄県史』がある。
それらは何れも自決命令で、梅沢隊長は従軍慰安婦と爆死したことになっている。
だが富村さんは「隊長は生きている」と云う。
富村さんは右翼から金を貰って嘘の本を書いたに違いない。
このような沖縄人はいない方がいい。
二度と本を書けないようにしてやろうと、富村さんを襲い、袋叩きにしたのは
私達で、そのリーダーが私でした。本当に申し訳ありませんでした」
と云いながら鞄から一冊の本を取り出しました。
宮城晴美さんが書いた『母の遺したもの』という本でした。
十年以上も本と縁がなく、新聞も余り読みませんでしたので、
この本が出ていることも全く知りませんでした。
その本をテーブルの上に置き、「梅沢さんは自決命令を出していない、
ましてや、死んだといわれた梅沢さんが健在であることを知りました
。自分たちは取り返しのつかないことをしてしまった。
富村さん、本当に申し訳ありませんでした」と跪いて詫びたのです。
余りに突然のことで、私も宮城晴美さんが本を出したことも知らず、
どのように大城君に返事をしていいやら、言葉を失い、黙っていると、
大城君が
「富村さん、近い中に私は本を読めない所へ行くんだ。
富村さん、この眼鏡はフランス製です。いい眼鏡です。
もしレンズが合わなければ、レンズだけ替えてお使い下さい」
と眼鏡をテーブルの上に置きました。
彼は読書家でもあったので、私は「じゃあ、お前は好きな本を読まないのか」
と云ったところ、「本を読めない所へ行くんだ」と――。
私はその意味をすぐには理解できませんでした。
それから一週間ほど経って、彼の友人が私の家に訪ねてきました。
「実は大城明さんが自殺しました。
彼の部屋に富村さん宛の手紙がありました」と云いました。
彼はその手紙で何度も何度も「申し訳ありませんでした」と詫びていました。
またお母さん達にも、富村さんに迷惑をかけたから、お詫びするようにと
遺言があったようです。
その後、大城君のお母さんやお姉さんからも電話がありました。
「申し訳ない。何か困ったことがあったら連絡下さい。
可能なことはして上げます」ということでしたが、
私は「何も困っていません」と申し上げてお断りいたしました。
つづく
これは メッセージ 68190 (yume_sarasa1211 さん)への返信です.