Re: 日本刀のルーツは・・・
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2009/03/14 19:45 投稿番号: [52137 / 73791]
>朝鮮出兵の時も、薩摩は明軍に恐れられていたようです。
泗川の戦いですね。島津義弘は、「島津奔る(新潮文庫) 」を読んで以来、私の好きな戦国武将の一人です。
もっとも、郷土の殿様・土佐の長宗我部元親が一番ですが(笑)
島津義弘の関が原での敵中突破による退陣・・・胸のすくような胆力の持ち主です。
【泗川の戦い(しせんのたたかい)とは文禄・慶長の役における合戦の一つ】
「慶長3年9月(1598年10月)、朝鮮半島の泗川で島津義弘率いる島津軍7千が明の武将董一元率いる数万(後述)の明・朝鮮連合軍と戦って撃退した戦い。圧倒的な戦力差があるにも関わらず、劣勢な島津軍が勝利した伝説的な戦いとして知られているが、その時の明軍の数が3万7千から20万と諸説あり、明軍の死者の数も数千から8万と資料ごとにかなりの開きがある。」
これは メッセージ 52059 (yamashisho さん)への返信です.
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