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古代百済との関係 1/2

投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2009/02/02 15:17 投稿番号: [48555 / 73791]
投稿者:チー

五経博士(ごきょうはかせ)は中国古代の官職の一つ。
前漢時代、太常の属官に置かれた。儒家の経典である五経(詩・書・礼・易・春秋)を教学する学官であった。

博士は秦からの官吏であり、古今に通じ、意見を求められた。
漢初には儒家の経典のみならず他の諸子百家の経典も学官に立てられていたと考えられる。


継体朝は、五経博士、すなわち儒教の専門学者を百済から送ってもらう制度を開いた。
しかしそれは、百済が任那の地の己、帯沙の割譲を要請したとき、その代償として百済からとりつけたものであった。


たとえば継体513年(継体天皇七年)6月に、
百済武寧王が二人の将軍を日本につかわし、己、帯沙問題について訴えきて、
『書紀』はこれについて、以下のように書いている。

百済、姐弥文貴将軍・洲利即爾将軍を遣わして、
穂積臣押山に副えて、五経博士段楊爾を貢る(たてまつる)

継体天皇7(513)年
《継体天皇七年(癸巳五一三)六月》七年夏六月。
百済遣姐弥文貴将軍。洲利即爾将軍。副穂積臣押山。〈   百済本記云。委意斯移麻岐弥。   〉
貢五経博士・段楊爾。

つまり、継体天皇7年(513)6月に、百済から五経博士である段楊爾が派遣されている。


そして、この問題が516年になって解決して、
この年百済は、その解決に功のあった物部連の帰国を援助したが、そのときも

百済、州利即次将軍を遣して、物部連に副えて来。己の地賜ることを謝りまうす。
別に五経博士・漢高安茂を貢りて、博士・段楊爾に代えると請う。

<継体天皇10(516)年>
《継体天皇十年(丙申五一六)九月》秋九月。
百済遺州利即次将軍、副物部連来、謝賜己之地。
別貢五経博士漢高安茂、請代博士段楊爾。

  9月、百済から段楊爾の交代要員として新たに漢高安茂が派遣される。

と記すのである。
段楊爾は百済人の、高安茂は「漢」とあるから中国人の儒教の専門家であろう。

五経博士の交替派遣を武寧王からとりつけたのであって、
継体朝の大和朝廷がいかに大きな代価をはらって大陸の学問・文芸を吸収しようとしたか
をうかがううことができるであろう。



ついでにいうと、百済も百済で、
諸種の学者を梁から招いて宮廷の学術の振興をはかった。

たとえば武寧王のつぎの聖王は、
541年に梁に入朝したが、このとき王は、
表をたてまつって、「涅槃等経義」や工匠・画師・毛詩博士をもとめ、
梁の武帝がその要請にこたえたことが『梁書』の百済伝にみえている。

『梁書』百済伝
中大通六年、大同七年、累遣使獻方物;并請涅盤等經義、毛詩博士、并工匠、畫師等、敕並給之。
http://www.hoolulu.com/zh/25shi/08liangshu/t-054.htm

中大通六年(534年)、大同七年(541年)、重ねて遣使が方物を献上し、
併せて涅盤などの経義、毛詩博士、併せて工匠、画師などを請い求め、勅許によりすべてを供与した。
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