いよいよ韓国消滅へカウントダウン!

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Re: 珍説と妄想は広がるばかりw

投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2008/01/21 10:18 投稿番号: [29611 / 73791]
>敗戦の後遺症?

15年で全くなくなるほど健忘症だったのかな。

>全くなかったね、既に娯楽・レジャー・旅行・グルメ(とは言わなかったが)は流行していたし、戦争の話など生活から消えていた。
考えるにTV冷蔵庫洗濯機の電化製品と3食正しく食べられ、映画を見に行き旅行もして(里帰り)という生活形態を享受していた。これは今の生活と質的には差がないのだ。戦後のタケノコ生活はとっくに忘れ去られ、家庭では話題にすら出なかった。

戦後の竹の子生活が標準ではあるまい。食えるようにはなった。電化製品も買えるようになった。旅行も出来るようになった。たまには以前は到底出来なかった贅沢も出来るようになった。当たり前のことだろうな。で、日本は一流国かい?



>池田勇人の所得倍増:彼がTVにでて(あるいは国会中継か)所得倍増の話をしたとき、当時中学生のあたしはうなった!親父の給料が倍になれば俺の小遣いも倍だ!!というわけで国民にあまねくバラ色の夢を与えたーこれが正しい。

バラ色の夢だったわけだ。

>これは池田の政策でしたね、当時国民は安保改正と反対で2分されていた。改正成立を待って岸の退陣、池田としては国民を合同する政策を経済に、所得の倍増というわかりやすいフレーズで国民を引っ張った。これは成功した。

それが何故成功したのかと問題にしているのだが。国民が池田の公約にバラ色の夢を見たからだろうが。例により、そんなことはないと否定する風潮はむしろ今より強かったよ。何より、社会党はほぼ全盛期と言っていい。各地で労働争議が相次いだのもこのころだし、安保闘争で大荒れであり、日本の空気は決して穏やかではなかった。生活に対する不安もあったし、だからこそ池田内閣はバラ色の夢を与える必要があった。



>ブロンディ:アメリカの華やかな60年代を象徴する漫画。あたしもたまにはよんだ。ごくたまに英語の勉強で英字新聞を手に入れた時程度。うらやましかったのは2点、大型の自家用車と住居の環境。しかしアメリカ生活の豊かさは(有り余る)石油と大陸空間にあると知って、これはうらやましがっても日本は永久に手に入らないから、ブロンディもタダそれだけの漫画だった。所得倍増はバラ色だが、ブロンディはタダの漫画ーが同時代人の印象です。

それは達観していたものだね。だが、ガソリンがぶ飲み消費文化のアメリカでも、それにあこがれたのは事実だよ。現実に日本がアメリカの後追いをしていたわけではない。政府も企業もエネルギー浪費文化が日本に根付くはずがないと知っていた。だが、一般人はとにかく豊かさにあこがれていた。

一般人がアメリカの浪費方文化を冷静に見、批判出来るようになったのはつい最近だよ。アメリカに対し、日本が決して引けを取らないと言う自信を持ってからだが、これはアメリカと同じ文化を築いたという意味ではない。文化の質が違うのだ。

豪勢な生活というなら、パキスタンやフィリピン辺りの大金持ちは、日本で言う金持ちどころの規模ではないが、今日本人はそれらをネタに喜びはしても尊敬はしない。まあ、例外はあるが。

つまり、それだけの自信を最近になって日本人は持ったと言うことだよ。60年代はとてもとても。

>ブロンディを見た世代が、アメリカ60年代の栄光に刺激を受け、しかし別の過程で生活基盤を固めようとしたのが、その後の日本の経済の躍進のバネになったかも知れない。これはブロンディ・アメリカ的なエネルギーじゃぶじゃぶ消費は日本では適さないと見据えていた証拠であろう。

その通り。まあ、あたしも単行本でブロンディは何冊か読んでいるが、バムステッド家はは当時のアメリカでも中流だった。隣家の親父は車を持っていたが、ダグウッドは持っていず、釣りに行くときなどいつも車に乗せてもらっていた。家も、別に広いわけではない。しかし、当時の日本人はその家の広さにため息をついていた。

そのバムステッド家でさえ、日本から見れば垂涎の的だったのだよ。


まあ、それでもまたなにかいいたいのだろうが、ここらでこの件は失礼する。
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