1960年に「敗戦の痛手」???
投稿者: blacktea310 投稿日時: 2008/01/20 23:38 投稿番号: [29584 / 73791]
>当時の日本人はまた敗戦の痛手から立ち直れず、日本は永久に2龍谷の地位に甘んじなければならないと言う悲観論が根強く広まっていた。だからこそ、それまで思うように経済発展が出来なかったこともあり、池田勇人がそれを口にしたとき多くの識者が実現不可能だと言ったのは事実。<
敗戦の痛手?
1960年の話しをしてるんでしょ?
池田の所得倍増の話しだろう?
日本は、昭和22年(1947年)から戦後復興に湧きだし、急成長を開始して、たったの5年で、昭和27年(1952年)には、GDPは何と4倍増になった。
昭和26年には、早くも既に戦前の好景気レベルのGDPに復帰。つまり敗戦の混乱、復興はドイツよりも早く、5年で回復。
基本的に外国を頼りにせず、世銀からの借款や米銀からの借入を大企業も独自にファイナンスして、鉄鋼業などが次々と立ち上がった。
池田の所得倍増を待つまでもなく、戦後の復興、経済成長景気に湧いていたんだよ。
だからこそ、1956年(昭和31年)には、『経済白書』で「もはや戦後ではない」宣言が出されて自信のほどを見せた。
当然ながら、国家予算も軍事費、朝鮮支援予算がいらなくなり、肩の荷がおりて楽になった。元々内需経済の大きい日本は、基本的に高度成長に突入していた。あれで、朝鮮戦争による米軍側による統制発注がなければ、混乱・停滞もなく、もっと早く高度経済成長に入ったのは間違いない。
だからこそ、池田の前に、既に、元商工大臣で経済に強い岸信介が「新長期経済計画」を策定し、それが池田の計画の原案になってることも常識だろう?
戦後15年も経った60年に「敗戦の痛手」?で、二流国云々なんて話しは出ようがない。
大学で習うような話しなんだが?
これは メッセージ 29581 (tokagenoheso さん)への返信です.
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