Re: mirokuninotiさんへ、731部隊の件
投稿者: mirokuninoti 投稿日時: 2007/11/19 00:05 投稿番号: [26288 / 73791]
deliciousicecoffe氏のブログがこの手の情報の宝庫です。
n_o_i_s_e_m_a_n 氏もいつも正論を書いておられますよ。
私も大和魂を発揮しているつもりですけど(爆)。
>南京大虐殺などは、近年、国民党側の資料の研究も進み、「南京大虐殺はまぼろし」派が、今後の主流になっていくことだろうと思います。
私は完璧に「なかった」派です。
確実にあったのは、国民党と連合軍の「プロパガンダ」です。
お勧めの書籍は「プロパガンダ戦 南京事件」松尾一郎著 です。
ライフの赤ん坊写真のインチキから写真情報のインチキがすべて解明されています。
東中野氏はこの本からも引用しているみたいですね。
***
日本は戦後、アメリカ主導の自由主義社会陣営へ組み込まれ、中国はソ連のを中心とする社会・共産主義社会陣営の一員としての地位を築き、米ソ冷戦構造の両極を担うこととなる。
しかし、ベトナム戦争の最中、米中が接近することとなり、一九七二(昭和四十七)年二月二十一日には、米大統領ニクソンと中国国家主席の毛沢東が会談するにいたった。
これに対して「頭越し外交」をされた日本は、この年に田中角栄首相が訪中し、日中共同声明を発表して九月二十九日、国交回復を行なった。
この日中国交回復前後の期間こそ、現在へとつづく南京事件に関しての大きな転換期となった。
それは一九六六(昭和四十一)年以来つづく文化大革命の真っ最中の中国を取材し、レポートを行なった本田勝一朝日新聞記者によって『中国の旅』の連載が日中国交回復の約一年前の昭和四十六(一九七一)年八月末から年末にかけて掲載されたからである。
このレポートは絶妙のタイミングであった。
この年の四月に日本で行なわれた世界卓球選手権大会には、中国選手団の招待が実現し、日中の雪解けムードとともに、日本国内では中国への関心が高まった時期でもあったため、『中国の旅』は絶大な影響を及ぼしたのである。
この『中国の旅』の中では、南京大虐殺という、当時の日本人にとって耳慣れない言葉が登場し、さらには次から次へと中国で日本軍が行なったとする残虐行為が語られたのである。
そのため、中国に対する贖罪意識が日本国民へと植えつけられてしまったのである。
さらに悪いことに、南京戦を取材した記者達が第一線の現場を離れはじめた頃であり、ソ連、中国、北朝鮮などの社会主義陣営が、平和主義国家または地上の楽園として賛美されていた時代でもあった。
当時中国色の強かった朝日新聞は、翌年に控えた日中国交正常化交渉前に、中国の代弁者ともいうべき『中国の旅』記事を掲載したのであった。
これはまさに、日中国交正常化交渉を進めるうえで、交渉を中国側に有利に進めるための外交工作を行っているようなものであった。
これを裏打ちするように、朝日新聞『中国の旅』の連載が終わった直後には、翌年に米国から返還される予定にあった沖縄とともに、その南方にある尖閣諸島に関する領有権を中国が主張する声明を行なっている(中国共産党『尖閣諸島に関する外交部声明』一九七一年一二月三十日)。
***
「プロパガンダ 南京事件」 松尾一郎著
130〜132頁
すべて、領地がほしいがためのプロパガンダですよ。
この時代朝日を必死で読んでいた人は皆、洗脳されています。
だから万博以降生を受けた人は、魔の洗礼から免れているんだわ(と今読んで気づきました、私も)。
n_o_i_s_e_m_a_n 氏もいつも正論を書いておられますよ。
私も大和魂を発揮しているつもりですけど(爆)。
>南京大虐殺などは、近年、国民党側の資料の研究も進み、「南京大虐殺はまぼろし」派が、今後の主流になっていくことだろうと思います。
私は完璧に「なかった」派です。
確実にあったのは、国民党と連合軍の「プロパガンダ」です。
お勧めの書籍は「プロパガンダ戦 南京事件」松尾一郎著 です。
ライフの赤ん坊写真のインチキから写真情報のインチキがすべて解明されています。
東中野氏はこの本からも引用しているみたいですね。
***
日本は戦後、アメリカ主導の自由主義社会陣営へ組み込まれ、中国はソ連のを中心とする社会・共産主義社会陣営の一員としての地位を築き、米ソ冷戦構造の両極を担うこととなる。
しかし、ベトナム戦争の最中、米中が接近することとなり、一九七二(昭和四十七)年二月二十一日には、米大統領ニクソンと中国国家主席の毛沢東が会談するにいたった。
これに対して「頭越し外交」をされた日本は、この年に田中角栄首相が訪中し、日中共同声明を発表して九月二十九日、国交回復を行なった。
この日中国交回復前後の期間こそ、現在へとつづく南京事件に関しての大きな転換期となった。
それは一九六六(昭和四十一)年以来つづく文化大革命の真っ最中の中国を取材し、レポートを行なった本田勝一朝日新聞記者によって『中国の旅』の連載が日中国交回復の約一年前の昭和四十六(一九七一)年八月末から年末にかけて掲載されたからである。
このレポートは絶妙のタイミングであった。
この年の四月に日本で行なわれた世界卓球選手権大会には、中国選手団の招待が実現し、日中の雪解けムードとともに、日本国内では中国への関心が高まった時期でもあったため、『中国の旅』は絶大な影響を及ぼしたのである。
この『中国の旅』の中では、南京大虐殺という、当時の日本人にとって耳慣れない言葉が登場し、さらには次から次へと中国で日本軍が行なったとする残虐行為が語られたのである。
そのため、中国に対する贖罪意識が日本国民へと植えつけられてしまったのである。
さらに悪いことに、南京戦を取材した記者達が第一線の現場を離れはじめた頃であり、ソ連、中国、北朝鮮などの社会主義陣営が、平和主義国家または地上の楽園として賛美されていた時代でもあった。
当時中国色の強かった朝日新聞は、翌年に控えた日中国交正常化交渉前に、中国の代弁者ともいうべき『中国の旅』記事を掲載したのであった。
これはまさに、日中国交正常化交渉を進めるうえで、交渉を中国側に有利に進めるための外交工作を行っているようなものであった。
これを裏打ちするように、朝日新聞『中国の旅』の連載が終わった直後には、翌年に米国から返還される予定にあった沖縄とともに、その南方にある尖閣諸島に関する領有権を中国が主張する声明を行なっている(中国共産党『尖閣諸島に関する外交部声明』一九七一年一二月三十日)。
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「プロパガンダ 南京事件」 松尾一郎著
130〜132頁
すべて、領地がほしいがためのプロパガンダですよ。
この時代朝日を必死で読んでいた人は皆、洗脳されています。
だから万博以降生を受けた人は、魔の洗礼から免れているんだわ(と今読んで気づきました、私も)。
これは メッセージ 26019 (kirameku7umi さん)への返信です.