加羅南部の金海地区は元々は日本領域
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/12/30 11:28 投稿番号: [8287 / 9207]
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/kodai-chousen.html
任那問題
昨年の教科書騒動では、韓国が任那を認めず大きな問題となりました。任那とは百済・新羅の南、朝鮮半島の南端部分です。日本ではその地に任那日本府を置き、加羅諸国を支配したと主張しています。しかし韓国ではその地域は加羅又は加耶と呼ばれ、それぞれ独立した小国の総称であるとして、任那日本府の存在を認めていません。次に日本での出土品では、韓式土器が注目されています。4世紀後半から5世紀初めのものが多く、この時期に朝鮮から多くの人が流入したことが窺われます。不思議なことにこれらの土器が出土するのは、北九州より、大阪府特に河内地方が圧倒的に多いことです。
応神天皇陵を始めとする古市古墳群の存在を合わせ考えると、広開土王が引き起こした朝鮮動乱で追われた人々が、政府により計画的に河内平野に土地を割り当てられたのではないでしょうか。又その土器の形状から、彼らの出身地の大半は加羅南部の金海地区の人と考えられます。
朝鮮進出の目的
この朝鮮半島での戦いは663年白村江の戦いに破れるまで、200年以上300年近くに亘り継続します。
それでは日本が朝鮮に進出した理由は何だったのでしょうか。鉄を求めてという説がありますが、熊谷公男は倭と加羅の特別の関係によるものではないかと言っています。「4世紀末から5世紀初頭の日本への移民は、戦場となった新羅・百済の人ではなく、殆どが加羅の人であった。永年の間に築かれた太いパイプにより、加羅人は抵抗なく日本に移住したのではないか」と言っています。そして「先進技術を持った彼らは政権を強化し、政権に発言権を持った。彼らの祖国に対する思いが、その後の任那に対する強い執着となったのでないか」と言っています。<引用おわり
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魏志倭人伝によると、当時のシナ王朝では、現在の日本列島および朝鮮半島南端部のことを《倭国》と記し、そこに住んでいる日本人のことを倭人と呼んでいたのだ、半島南端部とは加羅南部の金海地区で、そこに日本人が移住していた事に成ります、
これは メッセージ 8286 (ninnikumanx さん)への返信です.
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