安龍福、倭がいう松島(于山)も我が領域
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/11/27 19:38 投稿番号: [8175 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm106.html#No.779
まずは下條氏の主張をみることにします。同氏は
1693年に朝鮮の漁民であるが村川家により日本へ連行されたときのことをこう記し
ました。
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安龍福が于山島というものの存在を知ったのは、鳥取藩に密航する三年前の1693(元
禄6)年4月、「鮑(あわび)と和布(わかめ)かせぎ」のため鬱陵島に渡ったときである。
『竹嶋紀事』によると、対馬藩での取り調べに安龍福は、次のような供述を残している。
この度 参候(まいりそうろう)島より北東に当り大きなる嶋これあり候。かの地 逗
留の内、ようやく二度、これを見申し候。彼島を存じたるもの申し候は、于山島と申し候
通り申し聞き候。終に参りたる事はこれ無く候。大方路法 一日路余もこれ有るべく候。
鬱陵島に初めて渡り、島の地理に詳しくなかった安龍福は、同行の朝鮮人から、于山
島の存在を教えられていたのである。
では、安龍福が「ようやく二度、見た」という于山島はどの辺りにあったのだろうか。
鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは
無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ
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安龍福が鬱陵島の浜から東北に二度見た島は竹嶼(于山島)だったでしょう、そして安龍福は、同行の朝鮮人から、于山島の存在を教えられていたのです、しかしなんで安龍福は倭がいう松島が朝鮮の于山島だと断定したのだろうかな。
これは メッセージ 8174 (ninnikumanx さん)への返信です.
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