西暦663年, 白村江の戦い
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/09/02 18:48 投稿番号: [7993 / 9207]
>1.西暦663年の白村江の戦いである。白村江とは、朝鮮半島の西にある入り江である。ここで、当時の日本、即ち、倭と、朝鮮の百済の連合軍とが、当時の世界の超大国の唐と新羅の連合軍と戦った事件である。これは実に、昨今の大東亜戦争におけるようなものであった。歴史教科書には、その結末に関しては、さりげなく、倭は敗退し、そのご、中国の唐の制度を真似て改革を実行していったとあり、詳細な結末は、何故か回避しているものだ。唐と言えば、当時の世界超大国であり、現在の米国のような存在であり、何もなくて、
そのまま終わりという単純なものではない。当然の如く、戦争賠償や、占領支配があって当然であろう。
実際、歴史は隠匿、隠蔽しているが、唐から占領軍が進駐してきた可能性が高いと思っている。天皇家は、百済からの亡命者と共に、支配の道具として利用されて、温存されたが、周囲は唐、即ち、中国人によって支配されてきたようだ。これは、幕末時において、徳川幕府の中枢が、京都の公家連中を指して、あのチャンコロ野郎と罵っていたことでも、その辺の事実が窺えると言うものだ。
ところで、進駐した唐は、如何なる政策を実行したのかは、ここでは敢えて言わないが、男女分断の隔離政策であり、彼等によって、種を植え付けられて繁殖させられて言った可能性が高い。これは歴史が隠蔽・忘却しても、言葉に事実の記憶が残留しているというものだ。即ち、「庶民」と言う言葉であり、これは、何も国民自身が自らを卑下自虐して言っているものではない。
「庶民」とは、庶子の民、即ち、私生児の民であり、正常な夫婦から誕生した嫡子の反対が庶子であり、我々日本人の大多数が、片親が解らない私生児、妾の子、繁殖奴隷の民であった可能性が高い。これも、歴史が隠してきた秘密のことであろう。<ー引用おわりー
*** 唐に破れたのだから当然講和協定なりあったでしょうな
中国側の資料には何かないのかな,
これは メッセージ 7990 (ninnikumanx さん)への返信です.
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