「竹島」領有権問題
投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2006/05/05 11:46 投稿番号: [6999 / 9207]
日本には、1905年2月22日の「島根県告示第40号」という決定的な証拠があるんですけどね。
*1905年1月28日、「閣議」で島根県への編入を決定。同時に、それまで「リアンクール岩」と呼ばれていた名称を「竹島」と変更。
*1906年4月8日、島根県隠岐島の代表が鬱陵島を訪れ、鬱陵島郡主の沈輿澤に「リアンクール岩」を「竹島」と名称変更し、正式に日本領土に編入したことを知らせる。
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一方、韓国には、これに相当する決定的証拠はありませんね。
*「三国史記」「新羅本紀」「東国嶼地勝覧」を根拠に、「512年より、竹島は既に新羅領土だった」との主張については、新羅が領土に組み入れた島は現在問題になっている「竹島」ではなく、当時様々な名称で呼ばれていた「鬱陵島」であることは明らかであり、「竹島」領有の何の根拠にもなりません。
*また韓国では、「1683年に安龍福が、鬱陵島に来る日本人を追い払い、日本に渡って江戸幕府に鬱陵島、独島の領有権を認めさせた」と教えていますが、これは嘘で、「1683年に安龍福が鬱陵島で日本人に捕まり、日本に連行されて江戸幕府の取調べを受けた際、鬱陵島の領有権を認めさせた」というのが本当のところです。
*この頃、韓国政府はしきりに、1870年に日本の「外務省」出仕の佐田白芽が出した「公文書」である「竹島・松島、朝鮮附属に相成りし候始末」、及び1877年3月20日の「内務省」の「通達」である「竹島外一島は朝鮮領」、同じく1877年4月9日の「内務省」の「竹島・松島を島根県の地図から除外するよう」指示した「訓令」を根拠に、「明治政府」も「竹島・松島」が朝鮮領土であることを認めていたと主張していますが、ここで記述されている「竹島・松島」は、「鬱陵島」のことであり、現在問題になっている「竹島」のことではありません。
幕末から明治初期にかけて欧米の地図が入ってきて、それには日本海に「アルゴノート島」「ダジュレー島」「リアンクール岩(ホーネット岩)」の三島が書き込まれていました。(幕末に日本にやってきたシーボルトが「日本地図」を作成するに当たり、「アルゴノート島」を「竹島」、「ダジュレー島」を「松島」と記述) その後の勝海舟の「大日本沿海略図」にも、ほぼ同様の記述が採用されていました。
1880年に、「天城」が海洋調査し、実は「アルゴノート島(竹島)」と「ダジュレー島(松島)」は同じ島で、「鬱陵島」のことだと確認できましたので、その後は「アルゴノート島(竹島)」を地図上から削除し、「松島(鬱陵島)」「リアンクール岩」の二島表記となりました。
「リアンクール岩」が「竹島」と改名されたのは、繰り返しますが1905年1月28日のことです。
このことからも分かる通り、幕末から明治初期にかけて「(アルゴノート島)竹島」、あるいは「(ダジュレー島)松島」と呼ばれていた島は共に「鬱陵島」のことであり、江戸時代初期に「松島」と呼ばれ、江戸時代末期からは「リアンクール岩(ホーネット岩)」と呼ばれ、1905年になって初めて「竹島」と呼ばれるようになった島とは別のものです。
*韓国政府は「竹島」韓国領の根拠として、1900年10月25日に大韓帝国が「官報」に掲載した「勅令第41号」を持ち出すこともあります。
●「勅令第41号」
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡主に改正した件
(第一条)
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡主に改正し、官制に編入し、軍等級は五級とすること
(第二条)
郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
韓国政府は「第二条」の区域に「竹島」が含まれていることが、「竹島」韓国領の根拠と主張しているわけですが、実は「鬱陵島」の約2km弱の距離に「竹島(チュクド)」と呼ばれる小島が存在するのです。この島は「竹輿島」とか「于山島」と呼ばれていたこともある島で、韓国がこの島の領有権を主張するのでしたら何の問題もありません。因みに鬱陵島から数百メートルの距離には「石島(別名観音島)」と呼ばれる島もあります。
いずれにしても「鬱陵島」から92kmも離れ、1900年の時点ではまだ「竹島」と呼ばれていなかった現在問題になっている「竹島」とは無関係です。
*1905年1月28日、「閣議」で島根県への編入を決定。同時に、それまで「リアンクール岩」と呼ばれていた名称を「竹島」と変更。
*1906年4月8日、島根県隠岐島の代表が鬱陵島を訪れ、鬱陵島郡主の沈輿澤に「リアンクール岩」を「竹島」と名称変更し、正式に日本領土に編入したことを知らせる。
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一方、韓国には、これに相当する決定的証拠はありませんね。
*「三国史記」「新羅本紀」「東国嶼地勝覧」を根拠に、「512年より、竹島は既に新羅領土だった」との主張については、新羅が領土に組み入れた島は現在問題になっている「竹島」ではなく、当時様々な名称で呼ばれていた「鬱陵島」であることは明らかであり、「竹島」領有の何の根拠にもなりません。
*また韓国では、「1683年に安龍福が、鬱陵島に来る日本人を追い払い、日本に渡って江戸幕府に鬱陵島、独島の領有権を認めさせた」と教えていますが、これは嘘で、「1683年に安龍福が鬱陵島で日本人に捕まり、日本に連行されて江戸幕府の取調べを受けた際、鬱陵島の領有権を認めさせた」というのが本当のところです。
*この頃、韓国政府はしきりに、1870年に日本の「外務省」出仕の佐田白芽が出した「公文書」である「竹島・松島、朝鮮附属に相成りし候始末」、及び1877年3月20日の「内務省」の「通達」である「竹島外一島は朝鮮領」、同じく1877年4月9日の「内務省」の「竹島・松島を島根県の地図から除外するよう」指示した「訓令」を根拠に、「明治政府」も「竹島・松島」が朝鮮領土であることを認めていたと主張していますが、ここで記述されている「竹島・松島」は、「鬱陵島」のことであり、現在問題になっている「竹島」のことではありません。
幕末から明治初期にかけて欧米の地図が入ってきて、それには日本海に「アルゴノート島」「ダジュレー島」「リアンクール岩(ホーネット岩)」の三島が書き込まれていました。(幕末に日本にやってきたシーボルトが「日本地図」を作成するに当たり、「アルゴノート島」を「竹島」、「ダジュレー島」を「松島」と記述) その後の勝海舟の「大日本沿海略図」にも、ほぼ同様の記述が採用されていました。
1880年に、「天城」が海洋調査し、実は「アルゴノート島(竹島)」と「ダジュレー島(松島)」は同じ島で、「鬱陵島」のことだと確認できましたので、その後は「アルゴノート島(竹島)」を地図上から削除し、「松島(鬱陵島)」「リアンクール岩」の二島表記となりました。
「リアンクール岩」が「竹島」と改名されたのは、繰り返しますが1905年1月28日のことです。
このことからも分かる通り、幕末から明治初期にかけて「(アルゴノート島)竹島」、あるいは「(ダジュレー島)松島」と呼ばれていた島は共に「鬱陵島」のことであり、江戸時代初期に「松島」と呼ばれ、江戸時代末期からは「リアンクール岩(ホーネット岩)」と呼ばれ、1905年になって初めて「竹島」と呼ばれるようになった島とは別のものです。
*韓国政府は「竹島」韓国領の根拠として、1900年10月25日に大韓帝国が「官報」に掲載した「勅令第41号」を持ち出すこともあります。
●「勅令第41号」
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡主に改正した件
(第一条)
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡主に改正し、官制に編入し、軍等級は五級とすること
(第二条)
郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
韓国政府は「第二条」の区域に「竹島」が含まれていることが、「竹島」韓国領の根拠と主張しているわけですが、実は「鬱陵島」の約2km弱の距離に「竹島(チュクド)」と呼ばれる小島が存在するのです。この島は「竹輿島」とか「于山島」と呼ばれていたこともある島で、韓国がこの島の領有権を主張するのでしたら何の問題もありません。因みに鬱陵島から数百メートルの距離には「石島(別名観音島)」と呼ばれる島もあります。
いずれにしても「鬱陵島」から92kmも離れ、1900年の時点ではまだ「竹島」と呼ばれていなかった現在問題になっている「竹島」とは無関係です。
これは メッセージ 6994 (nijinijufun さん)への返信です.
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