竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末
投稿者: okinawatorafu2005 投稿日時: 2006/04/02 09:23 投稿番号: [6106 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm062.html#No.399
インターネット「歴史会議室」
半月城
>1868年に徳川幕府を倒した明治政府は、1869年(朝鮮高宗6年、
明治2年)12月に朝鮮の内情を調査するために、外務省高官である左田白茅、
森山茂、斉藤栄らを朝鮮の釜山に派遣した。
当時、外務省の調査事項の中で“竹島(鬱陵島)と松島(独島)が朝鮮に
属していること”(竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末)を含めて太政官(総理大
臣)に結論を求めていたが、太政官はそれらを調査するよう指示していたので
ある。
この指示を受けて、外務省高官が朝鮮の内情を調査して出した報告書が、
1870年(明治3年)の<朝鮮国交際始末内探書>である。
ここには、鬱陵島と独島が朝鮮に属した領土であることを認めた、次のよ
うな文面の報告がある。
−−竹島と松島が朝鮮に属している顛末
この件は、松島は竹島の隣島で、松島の件については今まで掲載された文
書もない。竹島の件については、元禄年度後しばらくの間、朝鮮からの居留の
ため人を派遣したことがある。
当時は以前と同じ無人島であった。竹木また竹をはじめとして、大きな葭
(あし)が繁茂し、人参などがとれる。それ以外、漁産にも適しているとのこ
とである・・・(注2)
・・・
日本外務省と当時の最高機関である太政官は、明治初期に
(1)鬱陵島と独島が朝鮮領土であること、
(2)決して主人のはっきりしない島ではないということ、
(3)独島は鬱陵島に隣り合わせの島で、鬱陵島の付属島であること、
(4)独島と鬱陵島がすべて日本の領土ではないこと
などをよく認識しており、これらを日本政府の公式文書である『日本外交文
書』に収録しているのである。
とらふ:
1868年明治維新の頃
鬱陵島は日本では松島呼称でした、その近くに幻の島で存在しなかった竹島があった
そしてはるかかなたにリアンクルロックもあった
当時世界の認識は明治政府を含めて3島だったのですよ
アハハハ・・・
左田白茅は松島は元の呼称の竹島であり、幻の島を「他一島」
と報告したのですね
だから竹島「他一島」なんですよ、竹島松島朝鮮附属ニ相成候の松島はチクトの事なんです。
これは メッセージ 6105 (okinawatorafu2005 さん)への返信です.
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