勅令41号、石島、・・・検証・・
投稿者: okinawatorafu2005 投稿日時: 2006/01/30 13:05 投稿番号: [5852 / 9207]
引用:
「朝鮮現勢便覧(1935年版)」などでは、領土の東限は「慶尚北道鬱陵島竹島」とし、位置は「東経130度56分」とされた。それは、韓国が李承晩ラインを引く際、意見を求めた歴史学者・崔南善の著書「朝鮮常識問答」(1948年初版)でも、同様だ。
一方、現在、日本で竹島、韓国で独島と呼ぶ島は「東経131度52分」にあり、経度が大きく食い違う。ところが、同じ「朝鮮常識問答」でも、後年の版で示された領土の東限を見ると、経度は初版の際のままにもかかわらず、地名だけが「慶尚北道鬱陵島独島」と修正されている。
1882年に朝鮮の国王・高宗から、長らく「空島政策」を取った影で分からなくなった鬱陵島の実態調査を命じられた李奎遠の報告や地図でも、現在の竹島は出てこない。高宗が関心を寄せた松竹島と于山島について、李奎遠は鬱陵島近くの小島だと復命した。
また、現在の竹島は勅令第41号が出された1900年当時、日韓両国でリアンクール島やリャンコ島などと呼ばれており、石島、独島との呼称は使われていない。鬱陵島の郡への昇格を進言した禹用鼎も、同島を一周しただけで、現在の竹島には行っていないことが分かっている。
Trafu:
1882年、李奎遠の報告では鬱陵島の付属島はチクトと観音島とされた。
これは メッセージ 5838 (okinawatorafu2005 さん)への返信です.
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