韓国は日本人がつくった 黄文雄
投稿者: okinawatorafu2005 投稿日時: 2005/11/07 12:28 投稿番号: [5740 / 9207]
http://japanese.joins.com/forum/board/view.php?no=39409&page=4
○朝鮮総督府の緑化政策によって甦った山野
崩壊した山河を甦らせるには、治山治水を始めるのが先決であると専門家は主張する。朝鮮総督府初代総督である寺内正毅大将も、先ずは治山をしなければ治水をしても効果は無いと主張して、朝鮮半島の治山治水に最も力を入れた。寺内総督は、日韓合邦の推進派の一人であり、後には日本の総理大臣になった人物である。韓国では朝鮮植民地化の張本人と言われ、評判が悪い。
彼は、荒れ果てた朝鮮の山河を見て、
「胸中所画無他策、欲使韓山草木甦」
という漢詩を吟じている。胸中にこれ以上の策は無く、願わくば朝鮮半島に自然の草木を甦らせるのみ、という嘆きと抱負を込めた詩である。また、寺内総督が帰国した際も、彼は「治山治水」への想いを次の和歌に託している。
「大君の恵み露にうるほいて、高麗の山河いろまさりゆく」
朝鮮半島で、実際に治水調査がスタートしたのは、1915年からである、具体的には、気象、水位、流量、改修築予定区域の実測調査などに着手した。1915年、これは10カ年計画の治水事業とされ、予算5000万円で帝国議会を通過した。しかし実際は、1928年までの14年間に亘って実施される事となった。
朝鮮半島の森林消失は、「日帝」が伐採して日本へ持ち去った為とされる事が多いが、史実は逆だ。
半島の林野面積は約1588万町歩で、全土地面積の71%をも占めている。その内、樹林の疎生地と散生地を含めた成林地は、僅か3分の1の約548万町歩であった。
更に、この成林地の内の67%が、交通不便な鴨緑江や豆満江などに偏在しており、仮に木材が採れても困難な輸送問題の壁にぶつかる利用価値の低い場所なのだった。その為、日本は半島での木材不足を補う為輸入せざるを得無かった。1925年の1年間だけでも550万円も輸入していた。それでも、建築資材や燃料は不足していたのだ。
この状況で、日本は如何やって森林資源を略奪出来るだろうか。輸入によって木材を持ち込みはしたが、搬出はして居ない。いや、出来なかったのが真実である。
そこで朝鮮総督府は、明治40年代から営林署を設立して朝鮮半島の荒廃した山野の復旧造林に着手した。そして森林保護令、幼齢林の育成、民有林に対する造林補助、病虫害駆除、森林組合への補助、林業試験場の整備、地方官庁職員の増員など、実践的な政策を次々と断行した。
1924年には、国有林区の調査事業が完了している。その結果、李朝時代に軍事上の目的から設けられた禁山地域も含めると、国有林は全土の約60%にも上っていた。総督府は、それを漸次民有林にして行き、1939年には国有林を全土の33%まで減少させた。
沖縄:
韓国否朝鮮半島は断末魔の状態だったのを日本が再建したんだな,
○朝鮮総督府の緑化政策によって甦った山野
崩壊した山河を甦らせるには、治山治水を始めるのが先決であると専門家は主張する。朝鮮総督府初代総督である寺内正毅大将も、先ずは治山をしなければ治水をしても効果は無いと主張して、朝鮮半島の治山治水に最も力を入れた。寺内総督は、日韓合邦の推進派の一人であり、後には日本の総理大臣になった人物である。韓国では朝鮮植民地化の張本人と言われ、評判が悪い。
彼は、荒れ果てた朝鮮の山河を見て、
「胸中所画無他策、欲使韓山草木甦」
という漢詩を吟じている。胸中にこれ以上の策は無く、願わくば朝鮮半島に自然の草木を甦らせるのみ、という嘆きと抱負を込めた詩である。また、寺内総督が帰国した際も、彼は「治山治水」への想いを次の和歌に託している。
「大君の恵み露にうるほいて、高麗の山河いろまさりゆく」
朝鮮半島で、実際に治水調査がスタートしたのは、1915年からである、具体的には、気象、水位、流量、改修築予定区域の実測調査などに着手した。1915年、これは10カ年計画の治水事業とされ、予算5000万円で帝国議会を通過した。しかし実際は、1928年までの14年間に亘って実施される事となった。
朝鮮半島の森林消失は、「日帝」が伐採して日本へ持ち去った為とされる事が多いが、史実は逆だ。
半島の林野面積は約1588万町歩で、全土地面積の71%をも占めている。その内、樹林の疎生地と散生地を含めた成林地は、僅か3分の1の約548万町歩であった。
更に、この成林地の内の67%が、交通不便な鴨緑江や豆満江などに偏在しており、仮に木材が採れても困難な輸送問題の壁にぶつかる利用価値の低い場所なのだった。その為、日本は半島での木材不足を補う為輸入せざるを得無かった。1925年の1年間だけでも550万円も輸入していた。それでも、建築資材や燃料は不足していたのだ。
この状況で、日本は如何やって森林資源を略奪出来るだろうか。輸入によって木材を持ち込みはしたが、搬出はして居ない。いや、出来なかったのが真実である。
そこで朝鮮総督府は、明治40年代から営林署を設立して朝鮮半島の荒廃した山野の復旧造林に着手した。そして森林保護令、幼齢林の育成、民有林に対する造林補助、病虫害駆除、森林組合への補助、林業試験場の整備、地方官庁職員の増員など、実践的な政策を次々と断行した。
1924年には、国有林区の調査事業が完了している。その結果、李朝時代に軍事上の目的から設けられた禁山地域も含めると、国有林は全土の約60%にも上っていた。総督府は、それを漸次民有林にして行き、1939年には国有林を全土の33%まで減少させた。
沖縄:
韓国否朝鮮半島は断末魔の状態だったのを日本が再建したんだな,
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