金日成主席を独立運動家と見なすか
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/04/16 02:05 投稿番号: [4917 / 9207]
波紋続く
姜万吉(カン・マンギル)光復(韓国の独立)60周年記念事業推進委員長の今月11日の発言の中に、「故・金日成(キム・イルソン)主席の抗日パルチザン運動も独立運動と見なすべきだ」という内容があった。姜委員長は左寄りの元老歴史学者だが、親日真相究明委員会の委員長にも内定している政府高官であることから波紋が拡大している。
▲波紋
金学元(キム・ハグォン)自民連代表が姜委員長の発言に抗議するため、光復60周年記念事業委員職を辞職した。自由民主民族会議も声明を出し、姜委員長の解任を求め、「大韓民国の正統性を破壊する発言」と述べた。ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表は13日、「非常に偏った視点を持った人々が、親日真相究明委員といった責任の重い任務に就いているのは、憂慮すべきことだ」と話した。
一方でウリ党の金炯柱(キム・ヒョンジュ)議員は14日、国会での政府に対する質疑で「過去の理念時代に排除・縮小された歴史的事実を論議し、教科書に脱イデオロギー的抗日運動を受け入れる意志があるのか」と姜委員長を擁護した。イ・ヘチャン首相は答弁で「国民的な共感の声が形成されれば、もちろん反映できる」と述べた。
14日付の仏ルモンド紙は「地平線」というコラムの「韓国、悲しみと憐憫(れんびん)」と題した記事で「韓国は、金日成主席が日本に立ち向かって戦ったという、やっかいな歴史の真実も認めるべきだ。数十年にわたり否定されてきた金日成主席の武装行為の一部が今や学校の教材に載せられている」と報じた。
▲金日成主席の足跡
学会では金日成主席が、1931年の中国共産党への入党以降、社会主義運動の一環として満州一帯で抗日運動を行ったという見解が多い。鄭成長(チョン・ソンジャン)世宗研究所研究委員は「金日成主席の抗日武装闘争は中国共産党の抗日闘争とは切っても切れない関係だった」と述べた。
金日成主席の代表的な抗日運動として挙げられるのが、1937年6月4日の「普天堡(ポチョンボ)戦闘」だ。当時25歳だった金日成が東北抗日連合軍傘下のゲリラ100人を率い、咸鏡(ハムギョン)北道の甲山(カプサン)郡・恵山(ヘサン)鎭・普天堡を一夜だけ占領したという戦闘だ。
戦闘の規模については議論が出ている。斗山(トゥサン)百科事典には「警察駐在所、面事務処などを攻撃し、檄を飛ばした。日本警察7人が死亡した。軍事的観点では小規模」と評価した。金日成主席は1940年まで武装闘争を展開し、その後ソ連に留まった。80年代後半より信憑性に欠けるという見方が歴史学界では大勢だ。
ソウル大学国史学会の権泰檍(クォン・テオク)教授は「普天堡戦闘が、当時衝撃的だったことは事実」とし「金日成の独立運動は、独立以後の足跡とは別にして認められるべきだ」と述べた。
しかし、ある元老学者は「金日成主席が南側の民衆に与えた苦痛と犯罪行為を考えれば、彼の独立運動を私たちが自ら進んで認めるのは時期尚早」とし「北朝鮮は李承晩(イ・スンマン)前大統領を独裁者と呼んでおり独立運動家と認めていない」と述べた。
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
姜万吉(カン・マンギル)光復(韓国の独立)60周年記念事業推進委員長の今月11日の発言の中に、「故・金日成(キム・イルソン)主席の抗日パルチザン運動も独立運動と見なすべきだ」という内容があった。姜委員長は左寄りの元老歴史学者だが、親日真相究明委員会の委員長にも内定している政府高官であることから波紋が拡大している。
▲波紋
金学元(キム・ハグォン)自民連代表が姜委員長の発言に抗議するため、光復60周年記念事業委員職を辞職した。自由民主民族会議も声明を出し、姜委員長の解任を求め、「大韓民国の正統性を破壊する発言」と述べた。ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表は13日、「非常に偏った視点を持った人々が、親日真相究明委員といった責任の重い任務に就いているのは、憂慮すべきことだ」と話した。
一方でウリ党の金炯柱(キム・ヒョンジュ)議員は14日、国会での政府に対する質疑で「過去の理念時代に排除・縮小された歴史的事実を論議し、教科書に脱イデオロギー的抗日運動を受け入れる意志があるのか」と姜委員長を擁護した。イ・ヘチャン首相は答弁で「国民的な共感の声が形成されれば、もちろん反映できる」と述べた。
14日付の仏ルモンド紙は「地平線」というコラムの「韓国、悲しみと憐憫(れんびん)」と題した記事で「韓国は、金日成主席が日本に立ち向かって戦ったという、やっかいな歴史の真実も認めるべきだ。数十年にわたり否定されてきた金日成主席の武装行為の一部が今や学校の教材に載せられている」と報じた。
▲金日成主席の足跡
学会では金日成主席が、1931年の中国共産党への入党以降、社会主義運動の一環として満州一帯で抗日運動を行ったという見解が多い。鄭成長(チョン・ソンジャン)世宗研究所研究委員は「金日成主席の抗日武装闘争は中国共産党の抗日闘争とは切っても切れない関係だった」と述べた。
金日成主席の代表的な抗日運動として挙げられるのが、1937年6月4日の「普天堡(ポチョンボ)戦闘」だ。当時25歳だった金日成が東北抗日連合軍傘下のゲリラ100人を率い、咸鏡(ハムギョン)北道の甲山(カプサン)郡・恵山(ヘサン)鎭・普天堡を一夜だけ占領したという戦闘だ。
戦闘の規模については議論が出ている。斗山(トゥサン)百科事典には「警察駐在所、面事務処などを攻撃し、檄を飛ばした。日本警察7人が死亡した。軍事的観点では小規模」と評価した。金日成主席は1940年まで武装闘争を展開し、その後ソ連に留まった。80年代後半より信憑性に欠けるという見方が歴史学界では大勢だ。
ソウル大学国史学会の権泰檍(クォン・テオク)教授は「普天堡戦闘が、当時衝撃的だったことは事実」とし「金日成の独立運動は、独立以後の足跡とは別にして認められるべきだ」と述べた。
しかし、ある元老学者は「金日成主席が南側の民衆に与えた苦痛と犯罪行為を考えれば、彼の独立運動を私たちが自ら進んで認めるのは時期尚早」とし「北朝鮮は李承晩(イ・スンマン)前大統領を独裁者と呼んでおり独立運動家と認めていない」と述べた。
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
これは メッセージ 4916 (hangyosyufu さん)への返信です.
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