★「竹島」は日本固有の領土です

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朝日社説というポエム

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/04/01 22:45 投稿番号: [3819 / 9207]
>   以前は韓国寄りだった一部国内メディアも、今回の韓国側の「火病」には戸惑いを隠せないようだ(例えば17日朝日社説というかポエム)。

>   ところが、ここにきて竹島は韓国領だという趣旨の見解が、日本の識者から提出された。東京新聞に掲載された島根大の内藤教授の見解である。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050317/mng_____tokuho__000.shtml

◇内藤正中・島根大名誉教授

――日本の外務省は「竹島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土」と主張しているが。

「十七世紀半ばまでに、幕府が鳥取藩の米子町人に渡海許可を与えることなどを通じて実効支配していたというのが日本政府の主張だが、非常に粗雑な説明に終始しており、固有領土論は根拠が薄いというのが実態だ」

●隠州視聴合記   国代記   (松江藩士・斉藤豊仙著   1667年)に「俗言磯竹嶋多竹魚海鹿」とある。米子町人が竹、魚介類、海豹などを取りに行ったことの証拠。粗雑な説明どころではない。

――渡海許可を得た町人の家に伝わる文書では、鬱陵島や竹島を幕府から「拝領」していたとある。

「封建時代、土地はすべて領主のものであり、たとえ無人島であっても幕府が町人に分与することなど本来あり得ない。文書が書かれたのは、渡海許可を得た人物の二、三代後。子孫が先祖の業績を過大評価して『拝領』などの表現を使ったのだろう」

●渡海許可を得られたことだけで充分。実行支配、鬱陵島の経営がなされていた第一級の証拠。

――ほかにどんな点で根拠が薄いのか。

「日本は一六九六年に鬱陵島への渡海を禁じた。それは竹島の領有意思否定を意味する。日本政府は『当時幕府が禁じたのは鬱陵島への渡海であって竹島は禁じていない』と言うが、渡海禁止によって竹島に行く者も途絶えた。竹島は朝鮮のものと認識されたとみるべきだ」

●鬱陵島への渡海を禁じたことがなんで竹島の領有意思否定を意味するのか。「渡海禁止によって竹島に行く者も途絶えた。竹島は朝鮮のものと認識されたとみるべきだ。」とは極めて粗雑な説明で、外国船が渡来し始めるまで密航、密漁は続きいていた。「竹島は朝鮮のものと認識されたとみるべきだ」の論拠を示す方が先だろう。独断と偏見は認知症のためだろうか。

――日本側が領有を否定したと考えられるのはこれだけか。

「もう一度ある。明治時代に入ると鬱陵島に渡る日本人が再び出始めた。一八七六年に同島の開発申請が出されたのに対し、明治政府は翌年、鬱陵島とほか一島は『本邦とは関係ない』という太政官決定を下した。『ほか一島』は属島である竹島を指すとみられる。つまり、日本は江戸時代と明治時代に二度、竹島が無関係の島だと言ったが、領有意思を主張したことは一度もない」

●鬱陵島と他一島は付属島嶼のチュクドで、大韓全図(1899年)に言う鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分の外にある松島(現竹島)の領有は一度も否定されたことはない。朝鮮側は感性的であり論理的でないためこのような誤りをおかす。

――朝鮮側は長年、鬱陵島の無人化を実施した。属島の竹島は見たこともなかったはずで、結局、竹島はだれのものでもなかったのでは。

「一九〇〇年に大韓帝国勅令で鬱陵島を領土と宣言し、属島の『石島』を管轄するとした。石島は竹島のこととみられ、既に領有国は決まっていた」

●独断と偏見、『石島』など言う名前は古文書に出るのは後にも先にもこれのみである。鬱陵全島と竹島、石島はチュクドのことである。大韓新地志(1907年)でこれらの位置を位置を130度45分から35分に至る述べている。松島(現竹島)はこの外にあることより「既に領有国は決まっていた」とは如何に妄言であるか明らかであろう。
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