1616年江戸幕府から鬱陵島へ渡航許可受ける
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/03/23 12:32 投稿番号: [2442 / 9207]
17世紀初頭、伯耆国(ほうきこく=現・鳥取県)米子の海運業者だった大谷甚吉(おおやじんきち)が、航海中に暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着した。彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府(1603-1868)から鬱陵島への渡航許可を受ける。鬱陵島はその発見から「竹島」と呼ばれるようになった。大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。大谷、村川両家は、この竹島(旧・松島)の経営をも手がけていた。竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。江戸幕府は松島に対する渡航許可も1656年に出している。(注意:竹島はむかし松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。韓国もこの歴史的経緯・事実に対しては異論は出ていない)
これは メッセージ 2440 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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