大韓帝国に外交権がなかった?
投稿者: no_mu_hyon_daiou 投稿日時: 2005/03/22 07:07 投稿番号: [2313 / 9207]
日韓併合
にっかんへいごう
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N365R100.HTM
----------------------------------
当時の大韓帝国に外交権がなかったから抗議できなかった?
1905年2月の島根県の官有地となる閣議決定は秘密ではなく、告示している。
これに対して韓国側からは何一つとして抗議は無かった。
「当時の大韓帝国に外交権がなかったから抗議できなかった」と言う。
この1905年(明治38年)2月22日、当時は、韓国はまだ完全なる主権国家であったが、何一つ関心を示していない。
韓国が日本の保護国となるのは9ヶ月後の1905年11月である。
しかし、島根県の竹島編入は第二次日韓協定の前であるから、日本は韓国の外交の相談役としてアメリカ人を派遣しただけで、外交権を奪っていない。
その証拠に第二次日英条約に対して、韓国は抗議をしていることから、「抗議できなかった」とは言えない。
また、1904年2月の日韓議定書、8月の第一次日韓協約によって、日本は韓国政府に対する数名の日本人外交顧問の勤務を保証させた言う。
しかし、これは、正確ではなく、日韓協約第2項では、韓国政府は日本政府の推薦する外国人1名を外交顧問として傭聘する事に同意しただけであり、実際に傭聘したのも、アメリカ人スチーヴンスであった。
たとえ、韓国が竹島の編入された1905年2月以降、日本の行為に対して抗議しうる立場に無かったとしても、その措置が無効となる訳ではない。
--------------------------------
-
固有と言うのはあくまでも主観の認識であって、国際法上の領有権とは意味が違う
これは メッセージ 2312 (yominokuni56 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1za1vcddega1wa4offckdc8gmada4nnneza4ga49_1/2313.html