資料2 続
投稿者: houkifuji 投稿日時: 2003/05/20 21:34 投稿番号: [1692 / 8733]
そもそも国民の税金をもらって何とかサバイバルしているだけなのに、銀行経営者に対する退職金は数億円支払うというのだから、訳が分からない。役員の退職金だって数千万円だ。銀行員の給料レベルもそれほど減っていない。
経営難においては、社外流出を減らすために減配や無配にすることが鉄則なのに、経営責任の問題になるので無理をしてでも配当にこだわっている。これは絶対におかしい。
そういう中で、ルールを適正化するという動きに対して「俺をいじめるんだったら、中小企業を三十兆円分殺すぞ」と脅迫する銀行経営者がいたのには驚いた。これには腰を抜かして、言葉もない。「お金を貸し出す」という銀行本来の使命など完全に忘れてしまっている。要するに、今回の一連の騒動ではっきり分かったことは、銀行が「銀行経営者を守る」という目的だけのために存在しているということだ。
貸し剥がしの客回り
どこの国においても、商業銀行、すなわち預金をお預かりして、お金を貸し出す業務を行っている銀行がもうかるのは、個人と中小企業しかない。大企業は資本市場から直接資金を調達できるので、割高の金利では借りてくれないからだ。もうかるお客さまである中小企業を大事にしなかったら、いずれにしても銀行として中長期的にもうからない。社会的意義のない組織は、継続的なものとして存在できないのである。
現実問題として、いま銀行の支店長は本当につらいと思う。本音では応援したい企業がたくさんあるのに、本部からは「とにかく貸し剥がせ」と言ってくる。貸し出すためにお客さまを回るのではなくて、貸し剥がすためにお客さまを回っている。これでは精神的に参ってしまうのではないか。実際、銀行の支店長たちが列をなしているので、都内のセラピストは大繁盛しているという話も聞く。
残念ながら事実として、いくつかの銀行は、大事なお客さまである中小企業をいじめ抜いている。実際に殺し(倒産させ)てもいる。そして、自らの保身のためだけに問題企業を隠し通そうとしている。その結果、中小企業から巻き上げたお金が問題企業のサポートに垂れ流されている。こんな銀行に果たして未来があるのだろうか。
そもそも、問題企業に対する債権放棄自体が怪しげなものだ。銀行の株主から株主代表訴訟を受けたら、説明が極めて難しい代物である。問題企業の株主がダメージを受けないで、債権者である銀行がダメージを勝手に背負ってしまうというのだから、商法やビジネスの考えから完全に離反している。これは本来、銀行の株主からすると許せない暴挙のはずだ。
守るべきは何か
こうした矛盾点を挙げていくと切りがない。しかし、ここまで矛盾点が多いというのは、何か根本的なことを間違えているからだということに気付く。
そう、これまでの金融行政は「誰を守るべきか」という根本的な視座において決定的な過ちを犯してきたのだ。彼らは、銀行システムのためと言いながら、実際のところ、銀行経営者を守ってきた。そして間接的に、問題企業を守ってきた。だから、ここまでわが国の金融がゆがんだものになってしまったのである。
われわれが守るべきなのは、銀行経営者と問題企業なのだろうか。私はそうではないと思う。われわれが守るべきは、経営者以外の銀行員や中小企業や預金者なのであると固く信ずる。
要するに不良債権処理に当たっての基本方針を簡潔に述べるならば、次に指摘する二つの考え方のうちどちらを取るのかという選択問題になる。まず指摘できるのは、自らの保身にきゅうきゅうとしている銀行経営者と本当は悪くなっているのを必死でごまかしている問題企業、こういう人たちを守るというこれまで通りの考え方だ。
もう一つは、そうではなくて、これからの日本の銀行システムを担っていく99%の銀行員の人たちと、これからの日本経済の再生を担っていく中小企業、そして低い預金金利に長い間苦しめられてきた預金者、こういう大多数の人たちを守るという考え方である。
私には答は明らかなのだが、ポイントは竹中経済・金融担当大臣のスタンスである。これに対する竹中大臣の答を聞きたい人は、NPOの金融イノベーション会議(03−3287−3220)に問い合わせてみてはどうか。十一月二十五日、東京八重洲で開催するコンファランスにおいて基調講演されるという。金融とわが国の将来に関心のある方は必聴である。
経営難においては、社外流出を減らすために減配や無配にすることが鉄則なのに、経営責任の問題になるので無理をしてでも配当にこだわっている。これは絶対におかしい。
そういう中で、ルールを適正化するという動きに対して「俺をいじめるんだったら、中小企業を三十兆円分殺すぞ」と脅迫する銀行経営者がいたのには驚いた。これには腰を抜かして、言葉もない。「お金を貸し出す」という銀行本来の使命など完全に忘れてしまっている。要するに、今回の一連の騒動ではっきり分かったことは、銀行が「銀行経営者を守る」という目的だけのために存在しているということだ。
貸し剥がしの客回り
どこの国においても、商業銀行、すなわち預金をお預かりして、お金を貸し出す業務を行っている銀行がもうかるのは、個人と中小企業しかない。大企業は資本市場から直接資金を調達できるので、割高の金利では借りてくれないからだ。もうかるお客さまである中小企業を大事にしなかったら、いずれにしても銀行として中長期的にもうからない。社会的意義のない組織は、継続的なものとして存在できないのである。
現実問題として、いま銀行の支店長は本当につらいと思う。本音では応援したい企業がたくさんあるのに、本部からは「とにかく貸し剥がせ」と言ってくる。貸し出すためにお客さまを回るのではなくて、貸し剥がすためにお客さまを回っている。これでは精神的に参ってしまうのではないか。実際、銀行の支店長たちが列をなしているので、都内のセラピストは大繁盛しているという話も聞く。
残念ながら事実として、いくつかの銀行は、大事なお客さまである中小企業をいじめ抜いている。実際に殺し(倒産させ)てもいる。そして、自らの保身のためだけに問題企業を隠し通そうとしている。その結果、中小企業から巻き上げたお金が問題企業のサポートに垂れ流されている。こんな銀行に果たして未来があるのだろうか。
そもそも、問題企業に対する債権放棄自体が怪しげなものだ。銀行の株主から株主代表訴訟を受けたら、説明が極めて難しい代物である。問題企業の株主がダメージを受けないで、債権者である銀行がダメージを勝手に背負ってしまうというのだから、商法やビジネスの考えから完全に離反している。これは本来、銀行の株主からすると許せない暴挙のはずだ。
守るべきは何か
こうした矛盾点を挙げていくと切りがない。しかし、ここまで矛盾点が多いというのは、何か根本的なことを間違えているからだということに気付く。
そう、これまでの金融行政は「誰を守るべきか」という根本的な視座において決定的な過ちを犯してきたのだ。彼らは、銀行システムのためと言いながら、実際のところ、銀行経営者を守ってきた。そして間接的に、問題企業を守ってきた。だから、ここまでわが国の金融がゆがんだものになってしまったのである。
われわれが守るべきなのは、銀行経営者と問題企業なのだろうか。私はそうではないと思う。われわれが守るべきは、経営者以外の銀行員や中小企業や預金者なのであると固く信ずる。
要するに不良債権処理に当たっての基本方針を簡潔に述べるならば、次に指摘する二つの考え方のうちどちらを取るのかという選択問題になる。まず指摘できるのは、自らの保身にきゅうきゅうとしている銀行経営者と本当は悪くなっているのを必死でごまかしている問題企業、こういう人たちを守るというこれまで通りの考え方だ。
もう一つは、そうではなくて、これからの日本の銀行システムを担っていく99%の銀行員の人たちと、これからの日本経済の再生を担っていく中小企業、そして低い預金金利に長い間苦しめられてきた預金者、こういう大多数の人たちを守るという考え方である。
私には答は明らかなのだが、ポイントは竹中経済・金融担当大臣のスタンスである。これに対する竹中大臣の答を聞きたい人は、NPOの金融イノベーション会議(03−3287−3220)に問い合わせてみてはどうか。十一月二十五日、東京八重洲で開催するコンファランスにおいて基調講演されるという。金融とわが国の将来に関心のある方は必聴である。
これは メッセージ 1691 (houkifuji さん)への返信です.
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