反戦・平和の 本来の目的 とは?
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/04/12 10:49 投稿番号: [1190 / 8733]
「反戦・平和」の
本来の目的とは?
こういうことなのでしょうか?
対立的でもかまいません。
こちらが、誤解・誤認・誤訳しているところ、甘さ、など…
どうぞご教授・ご指摘くださいませ。
みなさまのご意見、お考え、ご感想、くださったなら うれしく思います。
--------------------------------------------------
・「対立」という側面・作用・動作…
運動・機能・プログラムのようなものは
世界を
「自分の側」 と 「相反する側」 として 認識する
… ということなのでしょうか?
・世界を
「自分の側」と
「相反する側」として分割し、
分割された、「相反するもの」を除去し、
除去し終わると、
残った半分の世界に対して、さらに
「自分の側」と
「相反する側」として分割がうまれ、
分割された、「相反するもの」を除去し、
除去し終わると、
残った半分の世界に対して、さらに
「自分の側」と
「相反する側」として分割がうまれ…
そのことが繰り返されてゆく
側面・作用・動作・運動・機能・プログラム… そのもの…
… ということなのでしょうか?
・どこを切っても、どこを取り出しても、どこを隔離しても、どこをみても、
「対立」という側面・作用・動作は、運動・機能・プログラムから
はじき出される結果
そこにあるのは 次なる「対立」
… ということなのでしょうか?
------------------------------------------------ -
「安定した世界を創る」ための議論は、
より多くの立場の違う意見にも 耳を傾け、
「対立」も、 役立ててゆけるものでありたい
「対立」も、 癒してゆけるものでありたい
それを観いだしてゆくこと、
より納得のゆく、解決方法を探ること、 に
意識を集中し、エネルギーを注ぎ込んでゆけるものでありたい。
… ということなのでしょうか?
「平和」を求めるからこそ、
議論の中心は常に「平和」の実現を目指すもの。
「平和づくり」に 貢献しているものでありたい。
… ということなのでしょうか?
「平和」に取り組むのは、まず、わたしたち自身でありたい
なぜなら これは、わたしたち自身の大切な未来 なのだから…
… ということなのでしょうか?
死んでいった犠牲者たちにも、
たむけることのできる
現実可能な「平和」・「安定した世の中」を実現する。
そのためには、かつて「対立」したものの中にも
わけへだてなく「平和」に貢献できる側面・存在の価値のあることを
認識してゆく姿勢を 忘れない。
そういうものでありつづけたい。
… ということなのでしょうか?
--------------------------------------------------
こういうことなのでしょうか?
対立的でもかまいません。
こちらが、誤解・誤認・誤訳しているところ、甘さ、など…
どうぞご教授・ご指摘くださいませ。
みなさまのご意見、お考え、ご感想、くださったなら うれしく思います。
--------------------------------------------------
・「対立」という側面・作用・動作…
運動・機能・プログラムのようなものは
世界を
「自分の側」 と 「相反する側」 として 認識する
… ということなのでしょうか?
・世界を
「自分の側」と
「相反する側」として分割し、
分割された、「相反するもの」を除去し、
除去し終わると、
残った半分の世界に対して、さらに
「自分の側」と
「相反する側」として分割がうまれ、
分割された、「相反するもの」を除去し、
除去し終わると、
残った半分の世界に対して、さらに
「自分の側」と
「相反する側」として分割がうまれ…
そのことが繰り返されてゆく
側面・作用・動作・運動・機能・プログラム… そのもの…
… ということなのでしょうか?
・どこを切っても、どこを取り出しても、どこを隔離しても、どこをみても、
「対立」という側面・作用・動作は、運動・機能・プログラムから
はじき出される結果
そこにあるのは 次なる「対立」
… ということなのでしょうか?
------------------------------------------------ -
「安定した世界を創る」ための議論は、
より多くの立場の違う意見にも 耳を傾け、
「対立」も、 役立ててゆけるものでありたい
「対立」も、 癒してゆけるものでありたい
それを観いだしてゆくこと、
より納得のゆく、解決方法を探ること、 に
意識を集中し、エネルギーを注ぎ込んでゆけるものでありたい。
… ということなのでしょうか?
「平和」を求めるからこそ、
議論の中心は常に「平和」の実現を目指すもの。
「平和づくり」に 貢献しているものでありたい。
… ということなのでしょうか?
「平和」に取り組むのは、まず、わたしたち自身でありたい
なぜなら これは、わたしたち自身の大切な未来 なのだから…
… ということなのでしょうか?
死んでいった犠牲者たちにも、
たむけることのできる
現実可能な「平和」・「安定した世の中」を実現する。
そのためには、かつて「対立」したものの中にも
わけへだてなく「平和」に貢献できる側面・存在の価値のあることを
認識してゆく姿勢を 忘れない。
そういうものでありつづけたい。
… ということなのでしょうか?
--------------------------------------------------
これは メッセージ 1187 (anywhere_you_want_to_go さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1yc0a43a6jbfoba4r4ja4a6a5ha5ta1y_1/1190.html