鏡よ、鏡、この世で一番のならず者は〜 1
投稿者: T_Ohtaguro 投稿日時: 2003/12/31 13:45 投稿番号: [4231 / 17759]
http://www.egroups.co.jp/message/TUP-Bulletin/166
リチャード・デュボフ
Znet, 2003年8月7日
1. 「包括的核実験禁止条約」:1996年、164カ国が調印、フランス、英国、ロシ
アを含む89カ国により批准された。米国の場合、クリントン前大統領が 1996年
に調印したものの、1999年上院によって批准を拒否され、核兵器または核開発計
画を有する国家で批准していない13カ国のひとつとなっている。2001年11月、米
国は国連軍縮安全保障委員会で、核実験禁止条約に反対する意思表示の採決を強
行させ、新型の短距離戦術核兵器開発のための核実験を再開する計画を発表した。
2. 「ABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)」:2001年12月、米国は1972
年に締結されたこの画期的な条約から公式に離脱した。核の時代において米国が
主要な軍縮協定を破棄したのは初めてである。
3. 「生物・毒素兵器禁止条約」:1972年に米国をふくむ144カ国により批准され
た。2001年7月、米国は、現地査察規定で協定を強化する1994年議定書の内容を
協議していたロンドン会議から退場。2001年11月ジュネーブでは、米国国務次官
(軍備担当)ジョン・ボルトンが「議定書は死んだ」との公式声明を発表し、同
時にイラク、イラン、北朝鮮、リビア、スーダン、シリアの協定違反を非難した
が、非難は具体的でなく、告発理由を裏付ける証拠は提示しなかった。2002年5
月、ボルトン氏はキューバが細菌兵器の研究開発を遂行していると非難したが、
ここでも証拠は示されなかった。同月、1994年に作成された国防総省の3つの文
書により、米国が物質を破壊する(“生物付着”と“生物腐食”)攻撃的生物兵
器の開発を計画していたことが明らかになった。これは、同協定ならびに1989年
に同協定に基づいて制定された米国内法に違反する。
4. 「違法小火器の国際移動制限に関する国連合意」:2001年、米国だけが反対
票を投じた。国務次官ジョン・ボルトンは、この協定は国際社会にとって「重要
な発議」であるが、合衆国憲法で保証された、国民が武器を所有また所持する権
利を侵害する恐れがあるため、米国としてはこれを支持する「ことができないし、
そのつもりもない」と述べた。
5.「国際刑事裁判所(ICC)条約」:1998年、戦争犯罪や人道に反する罪で起
訴された政治的指導者や軍人を裁くため、ハーグに設立することに決定。1998年
7月にローマで最終協議が行われ、120カ国が調印した。クリントン前大統領は、
2000年12月に署名したにもかかわらず、中国、ロシア、イスラエルなど6カ国
とともに米国も条約に反対すると発表した。2002年5月、ブッシュ政権はこの
条約への「署名を撤回」、また、米国は同裁判所の司法権を認めず、個人を告発
する場合に証拠となる情報の提供を一切行わないと発表。米国が条約に一度署名
し、それを後に取り消すというのは、前代未聞のことである。2002年7月、IC
Cは必要とされる60カ国の批准を得て発効した。批准国には英国、カナダ、フラ
ンス、ドイツ、イタリア、スペインが含まれていた(ロシアは、その後署名した
が批准はしていない)。
2002年から2003年にかけて、米国は、お互いの国民をICCに起訴しないことを
定めた二国間協定を各国との間に調印して、ICC条約の転覆を図った。2003年
半ばまでに、37カ国との間に相互引渡し免除協定を調印。相手はほとんどがアフ
リカ、アジア、中米、東欧の貧しい小国である。例えばボスニアは、米国からの
補助金7300万米ドルを削減すると脅されて、この取引に応じた。2003年7月、
ブッシュ政権は、ICCにおける米国民の訴追免除の誓約を拒絶した35カ国に
対し、すべての軍事援助を停止した。
リチャード・デュボフ
Znet, 2003年8月7日
1. 「包括的核実験禁止条約」:1996年、164カ国が調印、フランス、英国、ロシ
アを含む89カ国により批准された。米国の場合、クリントン前大統領が 1996年
に調印したものの、1999年上院によって批准を拒否され、核兵器または核開発計
画を有する国家で批准していない13カ国のひとつとなっている。2001年11月、米
国は国連軍縮安全保障委員会で、核実験禁止条約に反対する意思表示の採決を強
行させ、新型の短距離戦術核兵器開発のための核実験を再開する計画を発表した。
2. 「ABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)」:2001年12月、米国は1972
年に締結されたこの画期的な条約から公式に離脱した。核の時代において米国が
主要な軍縮協定を破棄したのは初めてである。
3. 「生物・毒素兵器禁止条約」:1972年に米国をふくむ144カ国により批准され
た。2001年7月、米国は、現地査察規定で協定を強化する1994年議定書の内容を
協議していたロンドン会議から退場。2001年11月ジュネーブでは、米国国務次官
(軍備担当)ジョン・ボルトンが「議定書は死んだ」との公式声明を発表し、同
時にイラク、イラン、北朝鮮、リビア、スーダン、シリアの協定違反を非難した
が、非難は具体的でなく、告発理由を裏付ける証拠は提示しなかった。2002年5
月、ボルトン氏はキューバが細菌兵器の研究開発を遂行していると非難したが、
ここでも証拠は示されなかった。同月、1994年に作成された国防総省の3つの文
書により、米国が物質を破壊する(“生物付着”と“生物腐食”)攻撃的生物兵
器の開発を計画していたことが明らかになった。これは、同協定ならびに1989年
に同協定に基づいて制定された米国内法に違反する。
4. 「違法小火器の国際移動制限に関する国連合意」:2001年、米国だけが反対
票を投じた。国務次官ジョン・ボルトンは、この協定は国際社会にとって「重要
な発議」であるが、合衆国憲法で保証された、国民が武器を所有また所持する権
利を侵害する恐れがあるため、米国としてはこれを支持する「ことができないし、
そのつもりもない」と述べた。
5.「国際刑事裁判所(ICC)条約」:1998年、戦争犯罪や人道に反する罪で起
訴された政治的指導者や軍人を裁くため、ハーグに設立することに決定。1998年
7月にローマで最終協議が行われ、120カ国が調印した。クリントン前大統領は、
2000年12月に署名したにもかかわらず、中国、ロシア、イスラエルなど6カ国
とともに米国も条約に反対すると発表した。2002年5月、ブッシュ政権はこの
条約への「署名を撤回」、また、米国は同裁判所の司法権を認めず、個人を告発
する場合に証拠となる情報の提供を一切行わないと発表。米国が条約に一度署名
し、それを後に取り消すというのは、前代未聞のことである。2002年7月、IC
Cは必要とされる60カ国の批准を得て発効した。批准国には英国、カナダ、フラ
ンス、ドイツ、イタリア、スペインが含まれていた(ロシアは、その後署名した
が批准はしていない)。
2002年から2003年にかけて、米国は、お互いの国民をICCに起訴しないことを
定めた二国間協定を各国との間に調印して、ICC条約の転覆を図った。2003年
半ばまでに、37カ国との間に相互引渡し免除協定を調印。相手はほとんどがアフ
リカ、アジア、中米、東欧の貧しい小国である。例えばボスニアは、米国からの
補助金7300万米ドルを削減すると脅されて、この取引に応じた。2003年7月、
ブッシュ政権は、ICCにおける米国民の訴追免除の誓約を拒絶した35カ国に
対し、すべての軍事援助を停止した。
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