> 私の挙げた反例は、かなり強力
投稿者: light_cavalrymen 投稿日時: 2003/08/30 09:17 投稿番号: [2394 / 17759]
ほう、レイシスト軽騎兵たんは朝鮮人と呼ばれるのが、嬉しくなさそうだね♪
君のようなピーターパンは、てっきり
『私は日本人であることを恥ずかしく思う。地球人と呼ばれたい。』
だのと宣うかと思ったんだがなぁ(笑
渡辺昇一氏が『かくて歴史は始まる』のまえがきで、
<引用開始>
自分の国の歴史を書くことは、弁護士が自分の依頼人のための弁論をするようなものである。そこに虚偽があってはならないが、言い分の筋は通さねばならない。各国にはそれぞれの国史があって、それぞれその国の言い分があってよい。
戦後の日本は、相手側の言い分だけを尊重し、自分の依頼人の言い分を故意に無視する弁護士みたいな歴史化が横行し、しかも、それが公平な史観であるかのごとく錯覚した時代である。
弁護士が自分の依頼人の言い分を無視して、相手側と通じ、その言い分に有利な発言をすれば、それは刑事的犯罪であり、弁護士資格は褫奪される。つまり取り上げられる。敗戦後の日本の歴史家には、弁護士資格を取り上げられてしかるべきであるような人が少なくなかった。
<引用終わり>
と鋭い指摘をされたのが 1992 年の事で、1950 年代から 90 年代に至るまでは確かにこの通りの展開だったと思うんですよね。ところがそれから十余年経った 2003 年現在の様相はかなり異なっていて、当時と較べて日本全体が右傾化しつつあると言うか北朝鮮による拉致事件もその大きなターニングポイントになったのではないかなと思いますが、第二次大戦後に支那人やら朝鮮人やらが大きな声で喚いていた『歴史』はどうにもおかしな点が多い、日本人としての立場で二十世紀の極東史を見直そうじゃないかというのが、現在の大きなトレンドになっています。
軽騎兵たんは海外ニュースカテの現状をしばしば嘆いていますが、それはあまりにも頭がボケているので、社会の動きについていけてないということだと断言しますよ。日本人の言い分には耳を貸さないが、支那人や朝鮮人の言っていることなら何でも正しいと信じ込んでしまう軽騎兵たんのオツムは未だに『70 年代モード』のままなんですね。
> 「一神教は戦争に適した宗教である」(msg2340)という説に対する、私の
> 挙げた反例は、かなり強力だと思うけれどね。
▲確かに軽騎兵たんの msg2370 はよく書けていると思いますよ。でもね、頭が悪いボケが書いた文だからいちいち認識が表層的で本質を掴んでません。
以下、軽騎兵たんの msg2370 から引用開始
> あれは、一種の宗教だと君は言うかもしれないが、共産主義は無神論の代表だ。
> 独ソ戦において、第二次世界大戦の流れを決してしまったソ連軍の強さは、
> かなりなものだと思う。
>
> 日本、フランス、そして史上最強の帝国アメリカと、長期にわたって戦い、独立を
> 獲得したベトナムは、共産主義国家であり、宗教などない。
>
> 前フセイン政権は、イスラムの政権だけれども、宗教色は非常に弱い政権である。
> この政権、結局のところ発展途上の小国であるにもかかわらず、軍備増強に明け暮れ、
> 挙句の果てには、世界を敵に回して戦争してしまった…。
▲二十世紀の巨人、比較歴史社会学のマックス・ヴェーバーは
『宗教とは行動様式である。』
と喝破しましたが、ヴェーバーの仮説的命題に沿って解釈すると共産主義も間違い無く一種の宗教です。共産主義者には共産主義者の、進歩的文化人には進歩的文化人独特の行動様式ってのが在りますから。と同時にサダム・フセインが独裁者であった頃のイラクには、サダム・フセインが自国民に押し付けていたイラク独特の行動様式が在った筈。あれはつまり、
『サダム・フセイン教』
って事なんじゃないですか?
君のようなピーターパンは、てっきり
『私は日本人であることを恥ずかしく思う。地球人と呼ばれたい。』
だのと宣うかと思ったんだがなぁ(笑
渡辺昇一氏が『かくて歴史は始まる』のまえがきで、
<引用開始>
自分の国の歴史を書くことは、弁護士が自分の依頼人のための弁論をするようなものである。そこに虚偽があってはならないが、言い分の筋は通さねばならない。各国にはそれぞれの国史があって、それぞれその国の言い分があってよい。
戦後の日本は、相手側の言い分だけを尊重し、自分の依頼人の言い分を故意に無視する弁護士みたいな歴史化が横行し、しかも、それが公平な史観であるかのごとく錯覚した時代である。
弁護士が自分の依頼人の言い分を無視して、相手側と通じ、その言い分に有利な発言をすれば、それは刑事的犯罪であり、弁護士資格は褫奪される。つまり取り上げられる。敗戦後の日本の歴史家には、弁護士資格を取り上げられてしかるべきであるような人が少なくなかった。
<引用終わり>
と鋭い指摘をされたのが 1992 年の事で、1950 年代から 90 年代に至るまでは確かにこの通りの展開だったと思うんですよね。ところがそれから十余年経った 2003 年現在の様相はかなり異なっていて、当時と較べて日本全体が右傾化しつつあると言うか北朝鮮による拉致事件もその大きなターニングポイントになったのではないかなと思いますが、第二次大戦後に支那人やら朝鮮人やらが大きな声で喚いていた『歴史』はどうにもおかしな点が多い、日本人としての立場で二十世紀の極東史を見直そうじゃないかというのが、現在の大きなトレンドになっています。
軽騎兵たんは海外ニュースカテの現状をしばしば嘆いていますが、それはあまりにも頭がボケているので、社会の動きについていけてないということだと断言しますよ。日本人の言い分には耳を貸さないが、支那人や朝鮮人の言っていることなら何でも正しいと信じ込んでしまう軽騎兵たんのオツムは未だに『70 年代モード』のままなんですね。
> 「一神教は戦争に適した宗教である」(msg2340)という説に対する、私の
> 挙げた反例は、かなり強力だと思うけれどね。
▲確かに軽騎兵たんの msg2370 はよく書けていると思いますよ。でもね、頭が悪いボケが書いた文だからいちいち認識が表層的で本質を掴んでません。
以下、軽騎兵たんの msg2370 から引用開始
> あれは、一種の宗教だと君は言うかもしれないが、共産主義は無神論の代表だ。
> 独ソ戦において、第二次世界大戦の流れを決してしまったソ連軍の強さは、
> かなりなものだと思う。
>
> 日本、フランス、そして史上最強の帝国アメリカと、長期にわたって戦い、独立を
> 獲得したベトナムは、共産主義国家であり、宗教などない。
>
> 前フセイン政権は、イスラムの政権だけれども、宗教色は非常に弱い政権である。
> この政権、結局のところ発展途上の小国であるにもかかわらず、軍備増強に明け暮れ、
> 挙句の果てには、世界を敵に回して戦争してしまった…。
▲二十世紀の巨人、比較歴史社会学のマックス・ヴェーバーは
『宗教とは行動様式である。』
と喝破しましたが、ヴェーバーの仮説的命題に沿って解釈すると共産主義も間違い無く一種の宗教です。共産主義者には共産主義者の、進歩的文化人には進歩的文化人独特の行動様式ってのが在りますから。と同時にサダム・フセインが独裁者であった頃のイラクには、サダム・フセインが自国民に押し付けていたイラク独特の行動様式が在った筈。あれはつまり、
『サダム・フセイン教』
って事なんじゃないですか?
これは メッセージ 2387 (light_cavalryman さん)への返信です.
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