発想のギャップ2
投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/08/07 13:14 投稿番号: [2003 / 17759]
2
先進国と発展途上国という対立項は有効か?
先進国と発展途上国の発想のギャップ、、、、さて、これだけで世界が読めるだろうか?
イスラム諸国と非イスラム諸国における、宗教のあり方をめぐる発想のギャップに
注目したほうがいいんじゃないかね?
またイスラム諸国内でも、アラビア半島諸国と東南アジアでは、
女性の社会進出や、政治における宗教のあり方についてだいぶ意識のギャップがある。
イラン一国内でさえ、世代や性別、地域差によって、
今の政治体制をめぐる発想のギャップがあるという。
ジハード理論と過激主義の混同を警告する一部聖職者と
ビンラディンを支持する一部ムスリムの間にも大きいギャップがある。
また先進国内でも発想のギャップがあることは、
イラク戦争をめぐる「古い欧州」論争などで明らかだろう。
国内に多くのムスリム移民を抱える国と、そうでない国でも違う。
ことさらに先進国の国民と発展途上国の国民の間の発想のギャップだけを
問題にする必要はあるのか?
3 ギャップの変遷
国際婦人年や人権規約の時代は、君が書いている通りだいぶ昔。
それ以降、ギャップはどうなったのかね?
台湾で日本ドラマが放映されたり、韓国の音楽が中国でヒット。
これは先進国同士だから参考にならんって?
じゃあこれも昔だが、イランで「おしん」が大ヒットした。
日本の視聴者とイランの視聴者の間に
乗り越えられないようなギャップがあったのなら、こんなことはありえん。
最近の話では、なんとエジプトで、『ベイウォッチ』のリメイクを
作ろうとしている。
ある分野では大きな意識のギャップがあっても、他の分野(この場合はテレビドラマ)では
たいして意識にギャップがないということの証であろう。
エンターテイメントの分野でさえ、このようにギャップが揺らいでいるのだから
社会経済政治をめぐるギャップにも大きな変化があることは推測できよう。
たとえば、遺伝子組み換え食品。
たしか2002年のこと。組み換えトウモロコシが先進国でボイコットされた後に、
先進国は、それを援助食糧としてアフリカに送ろうとした。
ところがアフリカ諸国は「そんなものは食えん」と拒否した。
食糧の安全をめぐっては、意識のギャップがなかったことを示す事件だ。
イラク戦争をめぐって起きた反戦運動は、先進国だけのものか?
ネットの発達やグローバル化が、発想のギャップにどのような影響を与えたのか、
検証する必要がある。
4 ギャップに注目することと、共通項に注目すること
そもそも発想のギャップなんて、個人レベルですらあるのに、
先進国vs発展途上国のギャップにのみわざわざ注目することに、
どれだけの意味があるのか?
それに注意しないと、ギャップを重視することが、
最近では人種主義に結びつくことすらある!
かつての人種主義は
「彼らは○○(「黒人」「ムスリム」「東洋人」「白人」など)だから我々より劣る」
「だから我々が教導しなくてはならない」というものだった。
しかし最近、オーストリアやフランス、オランダの人種主義者は
「彼らは○○であり、我々とは社会や政治をめぐる発想が違う」
「彼らの価値は尊重されるべきで、無理矢理に我々の価値を押し付けるべきではない」
「ただし、我々の社会の価値も同様に尊重されるべきで、
それは彼らの価値とは異なるのだから、彼らは彼らの場所に帰るべきだ」
という理論で、移民/難民排斥運動を正当化している。
一昔前まで「彼らの発想の違いを尊重しよう」という多文化主義は、
もっぱら左派から提唱されていたのだが……。
同じことが、先進国の人種主義だけでなく、
一部ムスリムのジハード理論(過激主義)にもある。
「彼らは異教徒である。我々とは共存できない…」とね。
異なる価値が共存できる社会/地球を目指すなら、
差異ではなく共通点により注目し、
その共通点を生かす方向で差異を考える視点こそが必要になるのではないだろうか。
>どんな国に暮らしていても、人間の求めるものは
>健康で文化的な暮らし、効率的な政府、まともな教育、
>宗教と結社の自由、選択の自由、抑圧からの解放、
>自分達の要求を政策に反映させる手段の公正さ、、、等。
>こういったベーシックな要求は、
>日本だろうとセネガルだろうと北朝鮮だろうとアメリカだろうと、
>そんなに変わらないと思うけどね。
という私の投稿には、このような意識があるのだがねえ。
ま、私の発想と貴殿の発想にギャップがあることは、よくわかった(笑)。
饒舌かつ膨大な投稿やってるみた
先進国と発展途上国の発想のギャップ、、、、さて、これだけで世界が読めるだろうか?
イスラム諸国と非イスラム諸国における、宗教のあり方をめぐる発想のギャップに
注目したほうがいいんじゃないかね?
またイスラム諸国内でも、アラビア半島諸国と東南アジアでは、
女性の社会進出や、政治における宗教のあり方についてだいぶ意識のギャップがある。
イラン一国内でさえ、世代や性別、地域差によって、
今の政治体制をめぐる発想のギャップがあるという。
ジハード理論と過激主義の混同を警告する一部聖職者と
ビンラディンを支持する一部ムスリムの間にも大きいギャップがある。
また先進国内でも発想のギャップがあることは、
イラク戦争をめぐる「古い欧州」論争などで明らかだろう。
国内に多くのムスリム移民を抱える国と、そうでない国でも違う。
ことさらに先進国の国民と発展途上国の国民の間の発想のギャップだけを
問題にする必要はあるのか?
3 ギャップの変遷
国際婦人年や人権規約の時代は、君が書いている通りだいぶ昔。
それ以降、ギャップはどうなったのかね?
台湾で日本ドラマが放映されたり、韓国の音楽が中国でヒット。
これは先進国同士だから参考にならんって?
じゃあこれも昔だが、イランで「おしん」が大ヒットした。
日本の視聴者とイランの視聴者の間に
乗り越えられないようなギャップがあったのなら、こんなことはありえん。
最近の話では、なんとエジプトで、『ベイウォッチ』のリメイクを
作ろうとしている。
ある分野では大きな意識のギャップがあっても、他の分野(この場合はテレビドラマ)では
たいして意識にギャップがないということの証であろう。
エンターテイメントの分野でさえ、このようにギャップが揺らいでいるのだから
社会経済政治をめぐるギャップにも大きな変化があることは推測できよう。
たとえば、遺伝子組み換え食品。
たしか2002年のこと。組み換えトウモロコシが先進国でボイコットされた後に、
先進国は、それを援助食糧としてアフリカに送ろうとした。
ところがアフリカ諸国は「そんなものは食えん」と拒否した。
食糧の安全をめぐっては、意識のギャップがなかったことを示す事件だ。
イラク戦争をめぐって起きた反戦運動は、先進国だけのものか?
ネットの発達やグローバル化が、発想のギャップにどのような影響を与えたのか、
検証する必要がある。
4 ギャップに注目することと、共通項に注目すること
そもそも発想のギャップなんて、個人レベルですらあるのに、
先進国vs発展途上国のギャップにのみわざわざ注目することに、
どれだけの意味があるのか?
それに注意しないと、ギャップを重視することが、
最近では人種主義に結びつくことすらある!
かつての人種主義は
「彼らは○○(「黒人」「ムスリム」「東洋人」「白人」など)だから我々より劣る」
「だから我々が教導しなくてはならない」というものだった。
しかし最近、オーストリアやフランス、オランダの人種主義者は
「彼らは○○であり、我々とは社会や政治をめぐる発想が違う」
「彼らの価値は尊重されるべきで、無理矢理に我々の価値を押し付けるべきではない」
「ただし、我々の社会の価値も同様に尊重されるべきで、
それは彼らの価値とは異なるのだから、彼らは彼らの場所に帰るべきだ」
という理論で、移民/難民排斥運動を正当化している。
一昔前まで「彼らの発想の違いを尊重しよう」という多文化主義は、
もっぱら左派から提唱されていたのだが……。
同じことが、先進国の人種主義だけでなく、
一部ムスリムのジハード理論(過激主義)にもある。
「彼らは異教徒である。我々とは共存できない…」とね。
異なる価値が共存できる社会/地球を目指すなら、
差異ではなく共通点により注目し、
その共通点を生かす方向で差異を考える視点こそが必要になるのではないだろうか。
>どんな国に暮らしていても、人間の求めるものは
>健康で文化的な暮らし、効率的な政府、まともな教育、
>宗教と結社の自由、選択の自由、抑圧からの解放、
>自分達の要求を政策に反映させる手段の公正さ、、、等。
>こういったベーシックな要求は、
>日本だろうとセネガルだろうと北朝鮮だろうとアメリカだろうと、
>そんなに変わらないと思うけどね。
という私の投稿には、このような意識があるのだがねえ。
ま、私の発想と貴殿の発想にギャップがあることは、よくわかった(笑)。
饒舌かつ膨大な投稿やってるみた
これは メッセージ 2002 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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