★「凶悪犯罪」とは何か
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/03/02 00:54 投稿番号: [17425 / 17759]
光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
安田 ・・光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べてい
ますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。
死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。
それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。
実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。
ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。
永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。
まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。
具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでし
ょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。
他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。
それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。・・・
安田 僕はこの間、光市の事件でかなりの脅迫電話を受けたわけですが、そういうのと対応しているんですね。私は、凶悪だと非難し、死刑にすることを求める彼らの底意に、凶暴性、凶悪性というのをものすごく感じるんですね。
飛躍してしまうんですが、僕らは体験していないけれども、戦前に農村なんかで普通どおり生活していた人たちが兵士にとられて中国大陸なんかで突然残虐な行為をやってしまう。ああいうような状況に今なりつつあるのかなという気がするんです。
それは一般市民だけじゃなくて裁判官も含めて底意の中の凶悪性というのは徐々に堆積してきているのではないか。そして、来年、再来年ぐらいになると、底意の凶悪性が表に出てきて、社会全体が凶悪化するような気がするんです。
やっぱり僕に脅迫電話をかけてくる人の底意と、それから今回の最高裁の裁判官が書いた文章とが大変よく似ているんですよね。事件を「冷酷、残虐、非人間的な所業である」と決めつけて最大限の非難をし、
【しかも被告人に有利な事情をことごとく否定したうえ、1審、2審の6人の裁判官が悩んで出した結論を、著しく正義に反するとはなから否定しているんですよ。】
乱暴でひどく感情的ですよね。「いのちの大切さ」を教えるどころか、「いのちをないがしろにしろ」にしているんですよ。
先ほども言いましたが、中国大陸で人を殺していった発想と同じですね。
「ちょっと待て」、「どのようなことがあっても、やってはならない」という毅然とした態度や、「う〜ん、なるほど」と人をして納得させるものは何もないんですね。
そこらあたりというのは、裁判官がどんどん理性も思想性も失ってきたことの結果ではないですかね。
・・司法は、国家の間違いを正したり人を救済することをしてこなかった。
光市の最高裁判決のように、「冷酷」「残虐」「非人間的」と最大限の非難の言葉を並べて、もっぱら人を処罰するばかりですから、マスコミも市民も、司法に厳罰を求めるんですね。「殺せ」、「吊るせ」とガーッと騒げば司法は簡単に動くものだと、実際動いてしまうんですけどね、・・
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/kyouaku2.htm
安田 ・・光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べてい
ますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。
死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。
それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。
実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。
ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。
永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。
まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。
具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでし
ょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。
他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。
それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。・・・
安田 僕はこの間、光市の事件でかなりの脅迫電話を受けたわけですが、そういうのと対応しているんですね。私は、凶悪だと非難し、死刑にすることを求める彼らの底意に、凶暴性、凶悪性というのをものすごく感じるんですね。
飛躍してしまうんですが、僕らは体験していないけれども、戦前に農村なんかで普通どおり生活していた人たちが兵士にとられて中国大陸なんかで突然残虐な行為をやってしまう。ああいうような状況に今なりつつあるのかなという気がするんです。
それは一般市民だけじゃなくて裁判官も含めて底意の中の凶悪性というのは徐々に堆積してきているのではないか。そして、来年、再来年ぐらいになると、底意の凶悪性が表に出てきて、社会全体が凶悪化するような気がするんです。
やっぱり僕に脅迫電話をかけてくる人の底意と、それから今回の最高裁の裁判官が書いた文章とが大変よく似ているんですよね。事件を「冷酷、残虐、非人間的な所業である」と決めつけて最大限の非難をし、
【しかも被告人に有利な事情をことごとく否定したうえ、1審、2審の6人の裁判官が悩んで出した結論を、著しく正義に反するとはなから否定しているんですよ。】
乱暴でひどく感情的ですよね。「いのちの大切さ」を教えるどころか、「いのちをないがしろにしろ」にしているんですよ。
先ほども言いましたが、中国大陸で人を殺していった発想と同じですね。
「ちょっと待て」、「どのようなことがあっても、やってはならない」という毅然とした態度や、「う〜ん、なるほど」と人をして納得させるものは何もないんですね。
そこらあたりというのは、裁判官がどんどん理性も思想性も失ってきたことの結果ではないですかね。
・・司法は、国家の間違いを正したり人を救済することをしてこなかった。
光市の最高裁判決のように、「冷酷」「残虐」「非人間的」と最大限の非難の言葉を並べて、もっぱら人を処罰するばかりですから、マスコミも市民も、司法に厳罰を求めるんですね。「殺せ」、「吊るせ」とガーッと騒げば司法は簡単に動くものだと、実際動いてしまうんですけどね、・・
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/kyouaku2.htm
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