新聞よ、さようなら
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2010/11/14 14:28 投稿番号: [16811 / 17759]
先日、新聞を止めてから何度目かの同じ新聞社からの(今までとは違う)勧誘員が来て、「もう一度考え直してほしい」と、言った。
「あなたの新聞に限らず、全てのマスコミにいえることだけれど、ここ何十年も嘘ばかり国民に伝えて、国民を情報操作していることが明らかになったじゃないですか?」
「そんなにひどいと感じますか?」
「あなたはそうは思いませんか?特に最近の小沢問題なんかその典型でしょう?」
「はい、すこしはおもいますけど・・・」
「そうでしょう?こんなひどい状況は、一度つぶれないと直らないんじゃないでしょうか?」
「まあ、あなたに言っても仕方がないからこれで終わりにしますけど、もう新聞は取らないことに決めましたから、勧誘に来ても無駄です。」
その勧誘員は、「どうもすみませんでした」と頭を下げて肩を落として帰って行きました。ちょっとかわいそうだと思いました。
読売や産経ははじめから国賊新聞で、場合によっては真実を曲げて報道することが常で、それを読み手も了解している部分があると思っていたので、私はほとんど相手にしていなかったが、「私たちは真実を伝えている」というスタンスで常にその正確性や、客観性を報道の本文であると主張してきた新聞社が、実は全くでたらめばかり報道していたと言うことは、私にとっては、犯罪的であるとすら感じている。
こういう新聞社は、本当に一度つぶれた方がいいと思っている。
私がこの新聞社の変化に気がついたのは、社屋を移転したときに多大の借金を背負ったという事を聞いた時期と一致する。
それからずっと、いつかはよくなるかも知れないと我慢してとり続けてきたがもう我慢の限界に来た。
「貧すれば鈍ス。」
日常生活を継続しようと考えるならば、長いものにも巻かれなければならないことも実感としてよくわかるけれども、少なくとも「マスコミ」はそうであってほしくないと思う。
日本の貧しい時期にも、この新聞社は、世界中に独自の支社を持って、独自の情報網の中で日本に情報を伝えてきていた。経費削減が大事なのかも知れないが、情報の一本化は、その情報の発信源の意図に大きく左右される危険性があり、客観性が無くなると言うことを、この30年間で学ばせてもらった気がする。
「新聞よ、さようなら」
これは メッセージ 1 (light_cavalryman さん)への返信です.
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