Re: 検察のメンツを保つ為処刑 飯塚事件
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/10/25 16:05 投稿番号: [16268 / 17759]
>日本以外の人間は違うという事ですか?
他の国は知りませんが、おそらくは欧米の国と比べたら桁違いだと思います。ましてや、どこかのサイトにあった、半田 稔という人が書いていた、「江戸時代の三都(江戸 京 大阪)物語」の中で
【幕末の大阪の儒者広瀬旭荘は、その著「九桂草堂随筆」において、三都および三都人の特色を述べている。「京の人は細なり、大阪の人は貪なり、江戸の人は夸なり。京の人は矜気多く、大阪の人は殺気多く、江戸の人は客気多し。京の人は土地を尊ぶ、」】
と書いていて、他都市と比べても「殺気多」いと書いているにもかかわらずこの治安の良さですから、日本全体がいかに温厚な土地柄であり、人民であったかが分かると思います。
※それが今は確か大阪の犯罪率が日本で一番多くなっていて、おそらくは欧米なみだろう事を思うと、残念ですね。
>今は恵まれてないのですか?
>アッサラームさんの話によると江戸時代より多いような気がしますが?
私が多いと書きましたか?まあしかし量的には多いのかも知れませんが、人口増加によって、また失政によって、日本の農業は壊滅的ですから、農産物自給率はご存じの通りじゃないですか?
せっかく経済力が上がっても決して裕福ではないですよねえ?
私が良かったと書いたとしたら、1970年代から80年代くらいの頃で、このころは、おそらくは良かったと思いますから、おそらくは犯罪率も低かったのではないでしょうか?
>家長が阻止したり、地域全体で阻止した形跡はありません。
私が書いているのは、明治維新以降、日本は「脱あ亜入欧」いう欧米の猿まねをしてきましたがそれが果たして日本という国にとって本当に良かったかどうかは誰にも分からない。日本の国土や民族にあった独自の方法をそろそろ模索したらどうだろう?というようなことですよ。
欧米の猿まねをすることに慣れっこになって、少年法の過剰な(と私は感じました)信頼や、死刑廃止という欧米主体の文化から出てきた運動を疑うことなく無防備に取り入れようとしていますが、果たしてこれが本当に日本という国の国民にとって納得の行く良いものなのかどうか、もう少し考えて方こんな行動を起こしたらどうだろうか?と思って、私はここに書き込むようになりました。
家長制度も地域の相互監視の慣習もその多くは、欧米のキリスト教的伝統思想に影響された合理主義からくるであろう個人主義の、グローバリゼーションという非常にお仕着せがましく思える啓蒙活動によって徐々に消滅しつつあることは確かだろうと思います。
私は決して江戸時代の日本にもどそうとかそういうことを書いているのではありません。
欧米の文化は確かに優れている部分もあるのだろうが、その良い部分の陰には「負」の部分も当然隠れているわけです。
これまで日本人はあまりにも無防備に欧米文化へ追随してきたのではないだろうか?もう少し日本の文化に添った独自の考え方が出来ないだろうか?と思っているだけです。
その意味で、この日本は、この「死刑制度撤廃」ということに対しては、未だに根強い反対意見が残っているわけですから、これには何か日本の文化的成り立ちを根本にした「無意識な違和感」を国民が感じているに違いありません。
そのことを大事にしてみましょうよ。・・・・ということです。
他の国は知りませんが、おそらくは欧米の国と比べたら桁違いだと思います。ましてや、どこかのサイトにあった、半田 稔という人が書いていた、「江戸時代の三都(江戸 京 大阪)物語」の中で
【幕末の大阪の儒者広瀬旭荘は、その著「九桂草堂随筆」において、三都および三都人の特色を述べている。「京の人は細なり、大阪の人は貪なり、江戸の人は夸なり。京の人は矜気多く、大阪の人は殺気多く、江戸の人は客気多し。京の人は土地を尊ぶ、」】
と書いていて、他都市と比べても「殺気多」いと書いているにもかかわらずこの治安の良さですから、日本全体がいかに温厚な土地柄であり、人民であったかが分かると思います。
※それが今は確か大阪の犯罪率が日本で一番多くなっていて、おそらくは欧米なみだろう事を思うと、残念ですね。
>今は恵まれてないのですか?
>アッサラームさんの話によると江戸時代より多いような気がしますが?
私が多いと書きましたか?まあしかし量的には多いのかも知れませんが、人口増加によって、また失政によって、日本の農業は壊滅的ですから、農産物自給率はご存じの通りじゃないですか?
せっかく経済力が上がっても決して裕福ではないですよねえ?
私が良かったと書いたとしたら、1970年代から80年代くらいの頃で、このころは、おそらくは良かったと思いますから、おそらくは犯罪率も低かったのではないでしょうか?
>家長が阻止したり、地域全体で阻止した形跡はありません。
私が書いているのは、明治維新以降、日本は「脱あ亜入欧」いう欧米の猿まねをしてきましたがそれが果たして日本という国にとって本当に良かったかどうかは誰にも分からない。日本の国土や民族にあった独自の方法をそろそろ模索したらどうだろう?というようなことですよ。
欧米の猿まねをすることに慣れっこになって、少年法の過剰な(と私は感じました)信頼や、死刑廃止という欧米主体の文化から出てきた運動を疑うことなく無防備に取り入れようとしていますが、果たしてこれが本当に日本という国の国民にとって納得の行く良いものなのかどうか、もう少し考えて方こんな行動を起こしたらどうだろうか?と思って、私はここに書き込むようになりました。
家長制度も地域の相互監視の慣習もその多くは、欧米のキリスト教的伝統思想に影響された合理主義からくるであろう個人主義の、グローバリゼーションという非常にお仕着せがましく思える啓蒙活動によって徐々に消滅しつつあることは確かだろうと思います。
私は決して江戸時代の日本にもどそうとかそういうことを書いているのではありません。
欧米の文化は確かに優れている部分もあるのだろうが、その良い部分の陰には「負」の部分も当然隠れているわけです。
これまで日本人はあまりにも無防備に欧米文化へ追随してきたのではないだろうか?もう少し日本の文化に添った独自の考え方が出来ないだろうか?と思っているだけです。
その意味で、この日本は、この「死刑制度撤廃」ということに対しては、未だに根強い反対意見が残っているわけですから、これには何か日本の文化的成り立ちを根本にした「無意識な違和感」を国民が感じているに違いありません。
そのことを大事にしてみましょうよ。・・・・ということです。
これは メッセージ 16267 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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