Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/05/22 00:50 投稿番号: [16184 / 17759]
>アッサラームさん、【犯罪と環境は大いに関係あり】という事ですよ。
>子育て中なら是非関連本でも読んでください。
ははは、私は犯罪と環境が無関係などと書いた覚えもありませんよ。むしろ大いに関係はあるだろうと思っています。ただ、「犯罪を犯した」という事実と、その「犯人の生育環境」は、被害に遭われた人たちにとってはそれがどういう事情であろうが、「殺された」という事実において、その理由の有無とか情状酌量の可能性のあるなしにかかわらず、全く無関係でしょう?と書いています。
ドラさんは、家庭環境が悲惨な人が自分の子供を殺していても、黙って許して、なすがままにさせておけるでしょうか?相手が何者であろうが、(国家が許している)正当防衛として、あらゆる手段でそれを阻止するはずですよねえ?
そもそも前にも書いていますが、精神医学者の犯罪研究やその社会還元のために殺人者が無罪になるわけではないですよねえ?ドラさんのお話では、そういう精神医学の研究はもうすでに「生育環境の所為だ」という「結論」を出していると言うことですよねえ?
こういう結論付けは必ずしも正しいのかどうか、私にはわかりませんが、「社会が補償すべきものが見えてくる」って言うのは、私には、精神医学者の怠慢の言い訳にしか見えません。これまでに多くの死刑囚を拘留してきて、それほどのことも満足に研究さえできない現状がすでに怠慢ですよ。
犯罪者の精神的なメカニズムの解明もないままに犯罪者を裁くことの是非が問われているんですよねえ?
私の考え方をかきますが、人間というものはその一人一人が特殊であり、それぞれに宇宙を包有しています。こういう人間の本質みたいなものを一つ一つの典型として研究しようとすること自体が人間の傲慢さだとも思えますが、その善悪はさておき、学問としては興味深いところもあることは否定しません。しかし、麻原にしろ誰にしろ、たとえば官権の防御そのものに抵抗して研究を続けている人などいるんでしょうか?麻原はあれだけ拘留されていて、ほとんどの事件の解明は未だに為されていませんよねえ?もしくはそういうことになっていますよねえ?彼の死刑の執行をのばすことによって、精神学者と名乗る人たちは何らかの研究成果を出すことはできたのでしょうか?もしくはそういう努力はしているのでしょうか?宅間はどうでしたか?光市は?
また、それが私たちにまで伝わってこないというのは、いったいどういうことなんでしょうか?社会還元は為されていますか?
秘密主義の中で為される研究のために、犯罪被害者の方々は我慢を強いられても仕方がないという主張なのでしょうか?
いわゆる「永山基準」というものが存在するそうですねえ?
(以下ウィキペディアからの抜粋)
*************
永山基準 [編集]
この事件以降殺人事件において死刑判決を宣告する際は、永山判決の死刑適用基準の判例を参考にしている場合が多く、永山基準と呼ばれる。1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。
0. 犯罪の性質
0. 犯行の動機
0. 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
0. 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
0. 遺族の被害感情
0. 社会的影響
0. 犯人の年齢
0. 前科
犯行後の情状
* *************
こういう従来的な情状酌量まですべてなくして、刑を執行しろとは私は書いていませんよ?
ただはじめに書きましたように、本来その被害に遭われた方々にとっては無関係であるはずの犯行動機に対して、国家が情状酌量することを強いるだけの理由はやっぱり必要なんじゃないでしょうか?
そして、その情状を酌量することを考えてもまだその罪が重大であると考えられた場合に、「死刑」という最終的な判断が為されると言うだけの話ではないでしょうか?
「誰でも彼でも人を殺したら死刑だというのは無謀だ」とか、「国家による殺人は人権違反だ」と言った馬鹿げた幼稚な詭弁を使う前に、まず人間として被害者(つまりこれは圧倒的な弱者ですよね)の視線にたった主張をすべきだといつも感じます。
ドラさんの主張は、いつも言いますが、「自分は手を汚したくない側にいたい」という、善意で凝り固まった圧倒的多数者による、被害者という圧倒的な少数者への無自覚な弾圧に他なりませんよ。
去年孫が生まれました。おじいちゃんです。(__;)
>子育て中なら是非関連本でも読んでください。
ははは、私は犯罪と環境が無関係などと書いた覚えもありませんよ。むしろ大いに関係はあるだろうと思っています。ただ、「犯罪を犯した」という事実と、その「犯人の生育環境」は、被害に遭われた人たちにとってはそれがどういう事情であろうが、「殺された」という事実において、その理由の有無とか情状酌量の可能性のあるなしにかかわらず、全く無関係でしょう?と書いています。
ドラさんは、家庭環境が悲惨な人が自分の子供を殺していても、黙って許して、なすがままにさせておけるでしょうか?相手が何者であろうが、(国家が許している)正当防衛として、あらゆる手段でそれを阻止するはずですよねえ?
そもそも前にも書いていますが、精神医学者の犯罪研究やその社会還元のために殺人者が無罪になるわけではないですよねえ?ドラさんのお話では、そういう精神医学の研究はもうすでに「生育環境の所為だ」という「結論」を出していると言うことですよねえ?
こういう結論付けは必ずしも正しいのかどうか、私にはわかりませんが、「社会が補償すべきものが見えてくる」って言うのは、私には、精神医学者の怠慢の言い訳にしか見えません。これまでに多くの死刑囚を拘留してきて、それほどのことも満足に研究さえできない現状がすでに怠慢ですよ。
犯罪者の精神的なメカニズムの解明もないままに犯罪者を裁くことの是非が問われているんですよねえ?
私の考え方をかきますが、人間というものはその一人一人が特殊であり、それぞれに宇宙を包有しています。こういう人間の本質みたいなものを一つ一つの典型として研究しようとすること自体が人間の傲慢さだとも思えますが、その善悪はさておき、学問としては興味深いところもあることは否定しません。しかし、麻原にしろ誰にしろ、たとえば官権の防御そのものに抵抗して研究を続けている人などいるんでしょうか?麻原はあれだけ拘留されていて、ほとんどの事件の解明は未だに為されていませんよねえ?もしくはそういうことになっていますよねえ?彼の死刑の執行をのばすことによって、精神学者と名乗る人たちは何らかの研究成果を出すことはできたのでしょうか?もしくはそういう努力はしているのでしょうか?宅間はどうでしたか?光市は?
また、それが私たちにまで伝わってこないというのは、いったいどういうことなんでしょうか?社会還元は為されていますか?
秘密主義の中で為される研究のために、犯罪被害者の方々は我慢を強いられても仕方がないという主張なのでしょうか?
いわゆる「永山基準」というものが存在するそうですねえ?
(以下ウィキペディアからの抜粋)
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永山基準 [編集]
この事件以降殺人事件において死刑判決を宣告する際は、永山判決の死刑適用基準の判例を参考にしている場合が多く、永山基準と呼ばれる。1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。
0. 犯罪の性質
0. 犯行の動機
0. 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
0. 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
0. 遺族の被害感情
0. 社会的影響
0. 犯人の年齢
0. 前科
犯行後の情状
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こういう従来的な情状酌量まですべてなくして、刑を執行しろとは私は書いていませんよ?
ただはじめに書きましたように、本来その被害に遭われた方々にとっては無関係であるはずの犯行動機に対して、国家が情状酌量することを強いるだけの理由はやっぱり必要なんじゃないでしょうか?
そして、その情状を酌量することを考えてもまだその罪が重大であると考えられた場合に、「死刑」という最終的な判断が為されると言うだけの話ではないでしょうか?
「誰でも彼でも人を殺したら死刑だというのは無謀だ」とか、「国家による殺人は人権違反だ」と言った馬鹿げた幼稚な詭弁を使う前に、まず人間として被害者(つまりこれは圧倒的な弱者ですよね)の視線にたった主張をすべきだといつも感じます。
ドラさんの主張は、いつも言いますが、「自分は手を汚したくない側にいたい」という、善意で凝り固まった圧倒的多数者による、被害者という圧倒的な少数者への無自覚な弾圧に他なりませんよ。
去年孫が生まれました。おじいちゃんです。(__;)
これは メッセージ 16182 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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