Re: “平和ボケ”・・長幼の差
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/08/23 01:09 投稿番号: [15766 / 17759]
ドン亀ですみません。
>「罪」というのは、自分の内側で自ら感じるモノであるはずですよねえ?
>それを誘発し、それに関わった諸悪は全て断罪されるべきだ・・・・」ではなくて、あの父親は、それなりの報いを受けているのではないでしょうか?
父は、こっちも被害者だ等言っていましたし、少年に対しての謝罪等無く、
喧嘩別れしているようですよ。
>家庭内の喧嘩程度では不介入が原則でしたが、このところのDVの認識によって相当改善したと言うことですが、権力筋にそれ以上の介入を許すのが妥当だと思いますか?
DVはケンカでは無く
弱者への暴力ですから、被害者は警察など助けを求めるのは当然。
>虐待を受けて駄目になる人も多いとは思いますが、やはりそれ以上の人がそう言う逆境にも負けずに強く生きているというのも実情ではないでしょうか?
負けずに強く生きられた源泉はなんでしょう?
【スタンドバイミー】という映画で、親に無視されている少年が
友人に【大丈夫、君なら作家になれる】と力づけられ、その通りになる。
その方も人生においてそういった【幸運】に恵まれたのではないですか?
今日【ドキュメント死刑囚】ちょっと読みました
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-736-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E5%8D%9A%E4%B9%8B/dp/4480064435
宮崎勤、宅間守、小林薫・・宮崎は精神を病み(と思います)、他の二人は
【死刑になりたい】という願望がある。なぜなのか。
皆様読んでみて。
>「彼らも被害者の一人だ」として彼らの罪があたかも個人の責任ではないと言い切ることも、いたずらにその責任の所在を曖昧にするだけで、なんの改善(けじめの付け方)にもならないのじゃないだろうか?
どんなに過酷な生育歴(永山則夫なども)があっても
けじめとして【有罪判決】があるわけで、服役や処刑があります。
犯罪者の犯罪責任をぼやかそうとは思っていないし、しかし彼らだけの責任とは思わない。
私がもし永山やアキバ事件の犯人と同じ環境で育ったら、果たして心穏やかに暮らせるだろうか自信がない。
>被害者の母子の無念はどこで晴らせばいいのか?
既に母子の意思を確認は出来ません。
遺族が【処刑】を叫んでいても、
ひょっとしたら被害者は【これを契機に立派に更正して社会に役立って欲しい】と思っているかもしれません。
無念を晴らす=処刑だろうかと。
殺してしまったら、どんな事をしても生き返らせることは出来ない。
だから犯人を処刑しても無念を晴らせるだろうかと。
>>未成年はまだ保護が必要、特に環境に恵まれなかった者は。
>>精神病者は治療の対象です。
>現行法ではそうなんでしょうねえ?
しかし私は、あくまで一個の人格として一人の人間をとらえる方がいいと思っているので、一人の人間をいくつかの人格で分けて、それぞれの人格が違うモノと規定してその上で、特定の区分に対して罪を問うというのは、何かおかしいと思うんですよねえ?
悔い改めよとかいって、キリストに帰依したら元の罪は全て精算されるというようなモノとは別の宗教観が存在してもいいと思っているんですよ。よく知らないけれど、多くの死刑廃止国というのは、キリスト教を母体にしている国なんじゃないのですかねえ?
さあちょっと今調べていないけど。
世界の過半数が廃止、国連からも【死刑執行停止、死刑廃止】勧告が出ていますよね。
>これは大乗仏教の浄土真宗の親鸞の言葉ですが、「悪人正機」というような、自分の犯した罪が大きければ大きいほど、それに対する罪の大きさを感じるはずだから、そう言う反省の中で生きている人こそより救われるはずだとした、そう言う見方もありだと思うんですよねえ
罪を感じられるか、反省できるか、それは環境によって学ぶのではないですか?
親に放置された子供が、教師にいじめを見て見ぬふりされている子供が
そういった規範というようなものを育成できるでしょうか。
いじめによって【人間不信】になったり、心を歪ませる。
畠山鈴香の【卒業アル
>「罪」というのは、自分の内側で自ら感じるモノであるはずですよねえ?
>それを誘発し、それに関わった諸悪は全て断罪されるべきだ・・・・」ではなくて、あの父親は、それなりの報いを受けているのではないでしょうか?
父は、こっちも被害者だ等言っていましたし、少年に対しての謝罪等無く、
喧嘩別れしているようですよ。
>家庭内の喧嘩程度では不介入が原則でしたが、このところのDVの認識によって相当改善したと言うことですが、権力筋にそれ以上の介入を許すのが妥当だと思いますか?
DVはケンカでは無く
弱者への暴力ですから、被害者は警察など助けを求めるのは当然。
>虐待を受けて駄目になる人も多いとは思いますが、やはりそれ以上の人がそう言う逆境にも負けずに強く生きているというのも実情ではないでしょうか?
負けずに強く生きられた源泉はなんでしょう?
【スタンドバイミー】という映画で、親に無視されている少年が
友人に【大丈夫、君なら作家になれる】と力づけられ、その通りになる。
その方も人生においてそういった【幸運】に恵まれたのではないですか?
今日【ドキュメント死刑囚】ちょっと読みました
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-736-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E5%8D%9A%E4%B9%8B/dp/4480064435
宮崎勤、宅間守、小林薫・・宮崎は精神を病み(と思います)、他の二人は
【死刑になりたい】という願望がある。なぜなのか。
皆様読んでみて。
>「彼らも被害者の一人だ」として彼らの罪があたかも個人の責任ではないと言い切ることも、いたずらにその責任の所在を曖昧にするだけで、なんの改善(けじめの付け方)にもならないのじゃないだろうか?
どんなに過酷な生育歴(永山則夫なども)があっても
けじめとして【有罪判決】があるわけで、服役や処刑があります。
犯罪者の犯罪責任をぼやかそうとは思っていないし、しかし彼らだけの責任とは思わない。
私がもし永山やアキバ事件の犯人と同じ環境で育ったら、果たして心穏やかに暮らせるだろうか自信がない。
>被害者の母子の無念はどこで晴らせばいいのか?
既に母子の意思を確認は出来ません。
遺族が【処刑】を叫んでいても、
ひょっとしたら被害者は【これを契機に立派に更正して社会に役立って欲しい】と思っているかもしれません。
無念を晴らす=処刑だろうかと。
殺してしまったら、どんな事をしても生き返らせることは出来ない。
だから犯人を処刑しても無念を晴らせるだろうかと。
>>未成年はまだ保護が必要、特に環境に恵まれなかった者は。
>>精神病者は治療の対象です。
>現行法ではそうなんでしょうねえ?
しかし私は、あくまで一個の人格として一人の人間をとらえる方がいいと思っているので、一人の人間をいくつかの人格で分けて、それぞれの人格が違うモノと規定してその上で、特定の区分に対して罪を問うというのは、何かおかしいと思うんですよねえ?
悔い改めよとかいって、キリストに帰依したら元の罪は全て精算されるというようなモノとは別の宗教観が存在してもいいと思っているんですよ。よく知らないけれど、多くの死刑廃止国というのは、キリスト教を母体にしている国なんじゃないのですかねえ?
さあちょっと今調べていないけど。
世界の過半数が廃止、国連からも【死刑執行停止、死刑廃止】勧告が出ていますよね。
>これは大乗仏教の浄土真宗の親鸞の言葉ですが、「悪人正機」というような、自分の犯した罪が大きければ大きいほど、それに対する罪の大きさを感じるはずだから、そう言う反省の中で生きている人こそより救われるはずだとした、そう言う見方もありだと思うんですよねえ
罪を感じられるか、反省できるか、それは環境によって学ぶのではないですか?
親に放置された子供が、教師にいじめを見て見ぬふりされている子供が
そういった規範というようなものを育成できるでしょうか。
いじめによって【人間不信】になったり、心を歪ませる。
畠山鈴香の【卒業アル
これは メッセージ 15761 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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