“平和ボケ”のお部屋

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凶悪な人格なんて無い

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/10/10 00:04 投稿番号: [15379 / 17759]
前の投降で【冤罪が晴れた】という部分はちょっと記憶が曖昧です。
テレビで見ただけなので、他の部分も大筋の記憶です。


本題↓

★司会   加藤さんはこの事件で犯罪心理鑑定をやられたわけですが、この判決をどう感じられましたか。


加藤   どうしても世間はマスコミの第一報道で影響を受けますから、

行為がセンセーショナルに報道されればされるほど、凶悪さがクローズアップされる。


それは、社会防衛上ある役割を果たすかもしれないけれども、それが独り歩きしちゃってるんですね。

ですから凶悪な行為イコール凶悪な人格。

【凶悪な人格というのはないんですけれども、そういう図式がスポーンと入っちゃうんです。】



  ところが、たとえば学生を法廷へ連れていくとか、あるいは鑑定書を少し読ませると凶悪イメージがコロッと変わるんです。


単純な話ですね。要するに凶悪な人格なんてない。

【その人の長い長い、あえていえばソーシャルリスクを負ったすごく苦しい苦難の人生があって、特に未成年の犯罪の場合には未完成の人格像がそこにあって、しかも、変な言い方しますけど、凶悪犯罪ができるほどしっかりした人格形成ができていない(笑)。】


あるいは凶悪犯罪をコーディネイトできるほど計画性や準備性を持てない人たちの集まりがそこにいるということに気づくわけです。



  そうすると奇妙なことが起こるんですね。凶悪というセンセーションは、あれは何だったんだろうと。


要するに虚構がそこに存在するだけであって、実像を見た途端に、それは全く市井の人物で、それこそもっと卑近な言い方をすると、

法廷で犯罪者の顔を見ただけで、ぜんぜんイメージが違う。


凶悪な人格なんていう全く存在しない人格を頭の中に描いているわけですよ。


【ところが、生の姿に触れて、成育史に触れて、その重たさに触れて、それからその犯罪者が未熟な顔(人格)であると、凶暴とは程遠い犯罪プロセスを見て、これは全く違うと。】


自分たちが見ていた凶悪というのは全部すっ飛ぶ構造になるわけですね。


  報道側について言えば、たとえば裁判になってそこで丹念に主張されたり中身が明らかになったものをきちんと伝えるという役割については

【非常に弱い】ですよね。


だからセンセーションにバーンと、しかもこれはまだわかっていないところだから、あることないこと混じっちゃう危険性がある。


真相解明というところで、きちっとはっきりしてきた中身がそのまま正確に伝わるだけで評価は全く違うと思いますね。

それがなされていない。



  鑑定の仕事はまさに真相解明で、単純に言えば人格を明らかにする。


凶悪な行為をしたから凶悪な人格であろうという推定を、裁判体というのはよくやっちゃう危険性があるんです。


そうじゃなくて、やっぱり市井の一人一人の人格を形成しながら、成育歴、家族歴、社会関係がずっと進行してきて、


ある時点から、「点」である犯罪事実行為に至る「面」の心理・社会的な背景があって、


そこで共犯関係があって、事件に流れていって、結果的には凶悪とラベリングされる行為に着地するんですけれども、


そのプロセスやその生きざまということを考えた場合に、それは凶悪とは全く無縁なんですね。


【むしろそこへ行かざるを得ない必然性と偶然性とがないまぜになりながら、いくつかのストーリーが織り交ざりながら着地するんです。】


ストレートに凶悪という着地に、凶悪な人格が計画的にそこに向かって、誰も許せないような突進をするという構図は100パーセントありませんから。


http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/c/4bb2bbe28cec1c65ab1ba2644fb9973b
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