卑怯者の弁 ・・・山口瞳
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/10/20 22:03 投稿番号: [15085 / 17759]
・・・
清水幾太郎先生の書かれた『諸君!』七月号の「核の選択」という論文は、発売当時にザッと目を通すという程度には読んでいた。また、その号がよく売れたということも聞いていた。これは、いわゆる「戦後」の日本人に対する挑戦状のようなものであるから、私にも感慨がなかったわけではない。
しかし、大勢の人がキナ臭イと言いだすと本当にキナ臭クなる怖(おそ)れがあると思ったので何も書かなかった。その手には乗るまいと考えた。
ところが、「核の選択」批判に答えるという『諸君!』十月号の清水先生の「節操と無節操」という論文を読んでいるときに、我慢がならなくなってきた。
特に「大正及び昭和初期に生れ、複雑に屈折した感情を持つ戦中派は、もう転換の主役ではない。主役であってはならない」というところでカッとなった。
戦争の直接の被害者(こういう言い方は好まないが)は戦中世代である。また、高度成長を含むところの経済復興を担ったのも戦中世代である。・・・
*
・・・
私が戦後に読んだ書物で、もっとも感動したのは大岡昇平さんの『俘虜記』である。
なかでも、戦場で大岡さんが米兵に遭遇する場面が圧倒的だった。
谷の向うの高みで一つの声がした。それに答えて別の声が、比島人らしいアクセントで『イエス、云々(うんぬん)』というのが聞えた。
声は澄んだ林の声を震わせて響いた。この我々が長らく遠く対峙(たいじ)していた暴力との最初の接触には、奇怪な新鮮さがあった。私はむっくり身をもたげた。
声はそれきりしなかった。ただ叢(くさむら)を分けて歩く音だけが、がさがさと鳴った。私はうながされるように前を見た。そこには果して一人の米兵が現われていた。
私は果して射つ気がしなかった。
それは二十歳くらいの丈の高い若い米兵で、深い鉄兜の下で頬が赤かった。彼は銃を斜めに前方に支え、全身で立って、大股(おおまた)にゆっくりと、登山者の足取りで近づいて来た。
私はその不要慎(ぶようじん)に呆(あき)れてしまった。彼はその前方に一人の日本兵の潜む可能性につき、些(いささ)かの懸念も持たないように見えた。
谷の向うの兵士が何か叫んだ。こっちの兵士が短く答えた。『そっちはどうだい』『異常なし』とでも話し合ったのであろう。兵士はなおもゆっくり近づいて来た。・・
結局、大岡さんである「私」は米兵を撃たない。その心理を以下延々と反省をこめて、論理的に倫理的に分析する。「私」の行為は、味方に対する裏切行為でもあった。私は、こんなふうに分析することのできる兵隊がいたことに感動した。
私がこの米兵の若さを認めた時の心の動きが、私が親となって以来、時として他人の子、或いは成長した子供の年頃の青年に対して感じる或る種の感動と同じであり、
そのため彼を射つことに禁忌を感じたとすることは、多分牽強附会(けんきょうふかい)にすぎるであろう。
しかしこの仮定は彼が私の視野から消えた時私に浮んだ感想が、アメリカの母親の感謝に関するものであったことをよく説明する。
初めて読んだとき、そうだと思い、いまでも私はその通りだと思う。戦場で殺しあうときには罪悪感は失われてしまっている。
「私」の行為は裏切行為であるかもしれないが、一人のアメリカの母親を救ったという事実は動かしがたい。辛いのはそこのところだ。
核戦争となれば予測のつかない悲惨なことになるのは明らかであるが、ヴェトナム戦争でもイラン・イラクの戦闘状況を見ても、戦争というものを窮極的に絞って考えると、
一人の男と一人の男が対峙する姿が浮かんでくる。そのときに射つか射たないかである。・・
清水幾太郎先生の書かれた『諸君!』七月号の「核の選択」という論文は、発売当時にザッと目を通すという程度には読んでいた。また、その号がよく売れたということも聞いていた。これは、いわゆる「戦後」の日本人に対する挑戦状のようなものであるから、私にも感慨がなかったわけではない。
しかし、大勢の人がキナ臭イと言いだすと本当にキナ臭クなる怖(おそ)れがあると思ったので何も書かなかった。その手には乗るまいと考えた。
ところが、「核の選択」批判に答えるという『諸君!』十月号の清水先生の「節操と無節操」という論文を読んでいるときに、我慢がならなくなってきた。
特に「大正及び昭和初期に生れ、複雑に屈折した感情を持つ戦中派は、もう転換の主役ではない。主役であってはならない」というところでカッとなった。
戦争の直接の被害者(こういう言い方は好まないが)は戦中世代である。また、高度成長を含むところの経済復興を担ったのも戦中世代である。・・・
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私が戦後に読んだ書物で、もっとも感動したのは大岡昇平さんの『俘虜記』である。
なかでも、戦場で大岡さんが米兵に遭遇する場面が圧倒的だった。
谷の向うの高みで一つの声がした。それに答えて別の声が、比島人らしいアクセントで『イエス、云々(うんぬん)』というのが聞えた。
声は澄んだ林の声を震わせて響いた。この我々が長らく遠く対峙(たいじ)していた暴力との最初の接触には、奇怪な新鮮さがあった。私はむっくり身をもたげた。
声はそれきりしなかった。ただ叢(くさむら)を分けて歩く音だけが、がさがさと鳴った。私はうながされるように前を見た。そこには果して一人の米兵が現われていた。
私は果して射つ気がしなかった。
それは二十歳くらいの丈の高い若い米兵で、深い鉄兜の下で頬が赤かった。彼は銃を斜めに前方に支え、全身で立って、大股(おおまた)にゆっくりと、登山者の足取りで近づいて来た。
私はその不要慎(ぶようじん)に呆(あき)れてしまった。彼はその前方に一人の日本兵の潜む可能性につき、些(いささ)かの懸念も持たないように見えた。
谷の向うの兵士が何か叫んだ。こっちの兵士が短く答えた。『そっちはどうだい』『異常なし』とでも話し合ったのであろう。兵士はなおもゆっくり近づいて来た。・・
結局、大岡さんである「私」は米兵を撃たない。その心理を以下延々と反省をこめて、論理的に倫理的に分析する。「私」の行為は、味方に対する裏切行為でもあった。私は、こんなふうに分析することのできる兵隊がいたことに感動した。
私がこの米兵の若さを認めた時の心の動きが、私が親となって以来、時として他人の子、或いは成長した子供の年頃の青年に対して感じる或る種の感動と同じであり、
そのため彼を射つことに禁忌を感じたとすることは、多分牽強附会(けんきょうふかい)にすぎるであろう。
しかしこの仮定は彼が私の視野から消えた時私に浮んだ感想が、アメリカの母親の感謝に関するものであったことをよく説明する。
初めて読んだとき、そうだと思い、いまでも私はその通りだと思う。戦場で殺しあうときには罪悪感は失われてしまっている。
「私」の行為は裏切行為であるかもしれないが、一人のアメリカの母親を救ったという事実は動かしがたい。辛いのはそこのところだ。
核戦争となれば予測のつかない悲惨なことになるのは明らかであるが、ヴェトナム戦争でもイラン・イラクの戦闘状況を見ても、戦争というものを窮極的に絞って考えると、
一人の男と一人の男が対峙する姿が浮かんでくる。そのときに射つか射たないかである。・・
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