絶句ものの馬鹿
投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/12/01 18:36 投稿番号: [13507 / 17759]
>絶句ものの馬鹿だねw
>民主主義は国家主権を頂点ではなく主権在民(もしくは間接的に主権を
>国民にしてる国民国家)を基礎とするものであることが大前提である。
絶句ものの馬鹿は君。国家主権と国民主権は対立する概念ではないよ。
主権在民とか国民主権とかいうのは、
「国家主権を国民が握っている・国民が行使する」
という意味だよ。
これに対立するのは、主権在君とか君主主権だ。何を寝惚けとるのかね。
>そもそも国家主権であるなら選挙権そのものを構成する論理がなくなる
国民が国家主権を行使するために、選挙をして代表者を決め、その代表者の集まる議会で法律やら行政やら物事を決める訳だ。
健全な民主主義の条件の一つとして、議会が一番強くなければならない。
議会が国家主権の頂点に位置していなければならない。
↓こんな風に。
<日本国憲法41条>
国会は,国権の最高機関であって,国の唯一の立法機関である。
君主主義においては、君主は世襲制だから選挙は必要ない。
>大統領が民主的な選出され、信任の形態と取ってる限りは民主主義であり形骸化
>でもなんでもない。
>むしろ、間接民主的な議会の方が直接民主制で選ばれた大統領よりも民主的な
>正当性が希薄なケースがある。
候補者一人だけが当選する場合、国民の過半数の支持を得ていなくても当選してしまう場合は十分ありうる。
そのような場合、結果として民意の大勢に反する施策が進められてしまうことに繋がりうる。
議会が弱ければ、民意の大勢に基づく「ブレーキ」が効かなくなってしまう。
だから、大統領や首相よりも議会が強くなければならないのである。
そもそも「直接民主制で選ばれた大統領」って何だ?
選挙で代表者を選ぶのは、それが議員であれ大統領であれ、いずれも間接民主制だよ。
君は言葉の定義を全然理解してないね。
>民主主義が挙国一致で独裁を選ぶことは民主主義の矛盾としてありえること
>であって、それが民主主義ではないということは言い切れない。
独裁というのは、反対者を黙らせ民主主義を「殺す」ことで、民主主義に取って代わるものだ。
ナチスは、他の政党を弾圧し、最後には総統に全権を委任し総統を国家主権上の最高最強の機関にした。
「われわれは、民主主義の教練場で
民主主義という名の武器を身につけるために、議会に参加する。
毒をもって毒を制する様な方法で…われわれは国会議員になる。
われわれがここに来るのは、…敵として来るのだ。
狼が羊の群におどりこむように、われわれはやってくるのだ」
(ゲッペルス、1928年)
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub311.htm
>社会主義という経済制度は存在しません。
>生産手段の国有化ではなく集団化、公共化である。
救い難い馬鹿だね。
「生産と配分の手段・方法を、社会の成員全体で共有することによって社会を運営していく体制」ってのは、経済制度の話だよ。
>救えないアフォさ
>政治的な自由と経済活動の自由は乖離するのは当然の話である。
おいおい、反論になってないよ。
アフォというなら、「基本的人権の中の自由の尊重と、経済システムの自由の尊重とは、同義である」という主張をせねばならんだろ。
>自由主義の基礎は、レッセフェールであって市場の万能に近いというのが大前提で
>自由主義者は近代的な経済システムの自由を極大化してない。
>公共性ある財も認めるのが経済リベラリスト。
「レッセフェール」というのは、「自由の極大化」だよ。何を前後矛盾したことを書いとるのかね。
自由経済主義の最初の理論は、アダム・スミスの自由放任主義だ。
「経済システムは、全く自由に委ねるべきであり、何ら制限を加えるべきでない」ってこと。
アダム・スミスに対する反論の一つが、ケインズの修正資本主義だ。
「自由放任のもたらす弊害を除くために、一定の制限・規制が必要」ってこと。
これは、資本主義と社会主義の中間的なものに近い。
修正社会主義の一種とも言うべき社会主義市場経済も、同じく中間的なものだが。
君は、言葉の意味を理解せずに適当に並べて、トンチンカンな文章を書いてるだけだ。
>民主主義は国家主権を頂点ではなく主権在民(もしくは間接的に主権を
>国民にしてる国民国家)を基礎とするものであることが大前提である。
絶句ものの馬鹿は君。国家主権と国民主権は対立する概念ではないよ。
主権在民とか国民主権とかいうのは、
「国家主権を国民が握っている・国民が行使する」
という意味だよ。
これに対立するのは、主権在君とか君主主権だ。何を寝惚けとるのかね。
>そもそも国家主権であるなら選挙権そのものを構成する論理がなくなる
国民が国家主権を行使するために、選挙をして代表者を決め、その代表者の集まる議会で法律やら行政やら物事を決める訳だ。
健全な民主主義の条件の一つとして、議会が一番強くなければならない。
議会が国家主権の頂点に位置していなければならない。
↓こんな風に。
<日本国憲法41条>
国会は,国権の最高機関であって,国の唯一の立法機関である。
君主主義においては、君主は世襲制だから選挙は必要ない。
>大統領が民主的な選出され、信任の形態と取ってる限りは民主主義であり形骸化
>でもなんでもない。
>むしろ、間接民主的な議会の方が直接民主制で選ばれた大統領よりも民主的な
>正当性が希薄なケースがある。
候補者一人だけが当選する場合、国民の過半数の支持を得ていなくても当選してしまう場合は十分ありうる。
そのような場合、結果として民意の大勢に反する施策が進められてしまうことに繋がりうる。
議会が弱ければ、民意の大勢に基づく「ブレーキ」が効かなくなってしまう。
だから、大統領や首相よりも議会が強くなければならないのである。
そもそも「直接民主制で選ばれた大統領」って何だ?
選挙で代表者を選ぶのは、それが議員であれ大統領であれ、いずれも間接民主制だよ。
君は言葉の定義を全然理解してないね。
>民主主義が挙国一致で独裁を選ぶことは民主主義の矛盾としてありえること
>であって、それが民主主義ではないということは言い切れない。
独裁というのは、反対者を黙らせ民主主義を「殺す」ことで、民主主義に取って代わるものだ。
ナチスは、他の政党を弾圧し、最後には総統に全権を委任し総統を国家主権上の最高最強の機関にした。
「われわれは、民主主義の教練場で
民主主義という名の武器を身につけるために、議会に参加する。
毒をもって毒を制する様な方法で…われわれは国会議員になる。
われわれがここに来るのは、…敵として来るのだ。
狼が羊の群におどりこむように、われわれはやってくるのだ」
(ゲッペルス、1928年)
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub311.htm
>社会主義という経済制度は存在しません。
>生産手段の国有化ではなく集団化、公共化である。
救い難い馬鹿だね。
「生産と配分の手段・方法を、社会の成員全体で共有することによって社会を運営していく体制」ってのは、経済制度の話だよ。
>救えないアフォさ
>政治的な自由と経済活動の自由は乖離するのは当然の話である。
おいおい、反論になってないよ。
アフォというなら、「基本的人権の中の自由の尊重と、経済システムの自由の尊重とは、同義である」という主張をせねばならんだろ。
>自由主義の基礎は、レッセフェールであって市場の万能に近いというのが大前提で
>自由主義者は近代的な経済システムの自由を極大化してない。
>公共性ある財も認めるのが経済リベラリスト。
「レッセフェール」というのは、「自由の極大化」だよ。何を前後矛盾したことを書いとるのかね。
自由経済主義の最初の理論は、アダム・スミスの自由放任主義だ。
「経済システムは、全く自由に委ねるべきであり、何ら制限を加えるべきでない」ってこと。
アダム・スミスに対する反論の一つが、ケインズの修正資本主義だ。
「自由放任のもたらす弊害を除くために、一定の制限・規制が必要」ってこと。
これは、資本主義と社会主義の中間的なものに近い。
修正社会主義の一種とも言うべき社会主義市場経済も、同じく中間的なものだが。
君は、言葉の意味を理解せずに適当に並べて、トンチンカンな文章を書いてるだけだ。
これは メッセージ 13491 (bismarks0507 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/13507.html