落ち着いたようなので、結び。
投稿者: nita2 投稿日時: 2005/11/07 15:33 投稿番号: [12914 / 17759]
人が決して越えることができない限界状況の前では、ファウストが
そうであったように人は絶望に打ちひしがれるしかない。
しかし、限界状況のこちら側にも亡くなった人の思い出なんかが、
そこらここらに残っている。
その暗号を繋ぎ合わせれば故人の実存も証明できる。
これが、私の考えに近い実存主義の立場である。
さて、人智の及ばない現象を限界状況の向こう側からの神の啓示と
いう暗号と捉え、それを解読し信を説く事で、限界状況の前で絶望
に打ちひしがれる人々を救うものが宗教だと思う。
だから、宗教は尊いものだと思う。
しかし、限界状況の向こうにある物は信じることは出来ても、決し
て実際に確認することはできない。
つまりは、人は生きながら外にある神の視点を持つことは出来ない
のだ。
私には生きながら成仏し、つまり外にある神の視点を得た釈迦に見
えたものさえ錯覚だったと感じる。
つまり、信に欠けた私は無神論者ということになる。
しかるに、私には外にある神の視点をして展開される主張を受け入
れられる度量はない。
これは メッセージ 12867 (leben_oder_sterben さん)への返信です.
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