パーペチュエイション
投稿者: klekkit 投稿日時: 2003/01/17 01:45 投稿番号: [118 / 17759]
川田順造(広島市立大学・国際学部)
進化人類学の大先達今西錦司先生は、生物の最も根源的な欲求は何かという私の質問に対して、言下に、「パーペチュエイションやね」と言われた。これは至言だと私は思う。「個体としても、種としても、少しでも先へ生存を延ばすこと」を出発点として、だがヒトは文化によって、「個」およびその主体的に意識されたものとしての「自己」の範囲を、「種」の内側にも外側にも、さまざまな度合いで設定する。家族、イエ、血縁集団、郷土、民族、国家、等。そしてそのパーペチュエイションのために、個のパーペチュエイションをすすんで犠牲にし、集団はそれを顕彰する。だが同時に、これも文化の所為で、元来「個」と「種」が永らえるための本能に発していたと思われる、「食」と「性」の欲望の満足を、個と種の持続には貢献しない快楽のために追求する。
文化に大きく由来すると思われるこの二つのベクトルが交差するところに、近親性交と、その逆の、異種間性交(獣姦など)が生まれるのだろう。そのどちらも、現実には行われ、場合によっては秘やかな享楽としての刺激さえ伴っていながら、集団からは忌まわしいもの、不吉なものとして、罰せられるのではないが「疎まれる」のは、基本的にはそれを否定する根拠は集団にもないままに、だが集団のパーペチュエイションにとっては不毛であるというシラケた認識を、集団は表明するのであろうか。
だが他面、古橋信孝が注目している奄美のオナリ神起源伝説に語られている、兄が妹と知らずに犯し、妹は兄と知りつつ受け入れた上で自死した兄妹相姦の当事者が、共同体によって神として祀られるというように、近親相姦が「聖化」の契機も含んでいることを、どう考えたらよいのか。
ヒトの研究にとって根源的な、しかし答えを見いだすことのきわめて難しい問いを投げかけてきた、近親者間の性交とその禁忌をめぐって、人類遺伝学、霊長類学、文化人類学など関連分野における最新の研究成果を持ち寄って討議しようというのが、このシンポジウムを発案した趣旨だ。その発案・企画者として、数多く考えられる問題のうちから、まず以下のような論点を挙げて問題提起としたい。
これは メッセージ 117 (klekkit さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/118.html