佐藤和男博士論文「サ条約の正しい解釈」⑤
投稿者: stefanie_nadeshiko 投稿日時: 2005/08/28 14:30 投稿番号: [11421 / 17759]
三
平和条約十一条の機能
アムネスティ条項に関する以上の理解を前提とすれば、サンフランシスコ平和条約十一条の機能ないし役割は、おのずから明らかにされましょう。すなわち、十一条が置かれた目的は、この規定がない場合に、講和成立により独立権を回復した日本の政府が、国際慣習法に従って、戦犯裁判判決の失効を確認した上で、連合国側が戦犯として拘禁していた人々を――刑死者の場合はいたし方ないが――すべて釈放するかまたは釈放することを要求するだろうと予想して、そのような事態の生起を阻止することにあったのです。長い歴史を持つ国際法上の慣例に反した十一条の規定は、あくまでも自己の正義・合法の立場を独善的に顕示しようと欲した連合国側の根強い感情を反映したものと見られますが、平和条約草案を検討した昭和二十六年九月のサンフランシスコ会議では、連合国の間からも十一条に対し強力な反対論が噴出しました。
要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。
筆者は昭和六十一年八月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席して、各国のすぐれた国際法学者たちと十一条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の十一条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学界の常識なのです。
外国の学者の中には、裁判官の人的構成が違っていたら、違った判決理由となる得る可能性を強調する人もいました。わが国の民事訴訟法一九九条一項は「確定判決ハ主文ニ包含スルモノニ限リ既判力ヲ有ス」と規定しています。既判力とは、裁判の内容としての具体的判断が以後の訴訟において裁判所や当事者を拘束し、これに反する判断や主張を許されない効力をいいます。右規定は文明諸国の「法の一般原則」を表していますが、この原則を重視する国際法学者もいたのです。もちろん、戦犯裁判なるものは普通の司法裁判とは異なり、本質的に国家の戦争行為(軍事行動)の具現であり、アメリカに即していえば、大統領により行使が決定される行政権(戦争遂行権)の延長戦上にあるものと考えられ、司法裁判と同じレベルでの議論は適当ではないのですが、判決文中の判決理由は既判力を持ち得ないとの原則の一種の類推適用は妥当でありましょう。
外国には「裁判官は判決理由を説明する義務を有しない」(Judices non tenentur exprimere causam sententias suae)という法諺すらあって、判決理由がさまざまであり得る可能性を認めて、重要なのは事件の決着であり、刑事裁判でいえば、刑の宣告が緊要であって、判決主文中に宣告された刑の執行により一件落着をはかることが急務であるとの考え方を含蓄しています。
対連合国平和条約の発効により国際法上の戦争状態を終結させて独立を回復した日本の政府は、東京裁判の判決理由中に示された歴史観ないし歴史的事実認定――歴史の偽造(パール博士の言葉)として悪名が高い――を盲目的に受けいれる義務を負わず、いかなる批判や再評価をもその裁判や判決理由に下すことが自由であり、この自由こそが、講和を通じ代償を払って獲得した国家の「独立」の実質的意味なのです。
アムネスティ条項に関する以上の理解を前提とすれば、サンフランシスコ平和条約十一条の機能ないし役割は、おのずから明らかにされましょう。すなわち、十一条が置かれた目的は、この規定がない場合に、講和成立により独立権を回復した日本の政府が、国際慣習法に従って、戦犯裁判判決の失効を確認した上で、連合国側が戦犯として拘禁していた人々を――刑死者の場合はいたし方ないが――すべて釈放するかまたは釈放することを要求するだろうと予想して、そのような事態の生起を阻止することにあったのです。長い歴史を持つ国際法上の慣例に反した十一条の規定は、あくまでも自己の正義・合法の立場を独善的に顕示しようと欲した連合国側の根強い感情を反映したものと見られますが、平和条約草案を検討した昭和二十六年九月のサンフランシスコ会議では、連合国の間からも十一条に対し強力な反対論が噴出しました。
要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。
筆者は昭和六十一年八月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席して、各国のすぐれた国際法学者たちと十一条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の十一条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学界の常識なのです。
外国の学者の中には、裁判官の人的構成が違っていたら、違った判決理由となる得る可能性を強調する人もいました。わが国の民事訴訟法一九九条一項は「確定判決ハ主文ニ包含スルモノニ限リ既判力ヲ有ス」と規定しています。既判力とは、裁判の内容としての具体的判断が以後の訴訟において裁判所や当事者を拘束し、これに反する判断や主張を許されない効力をいいます。右規定は文明諸国の「法の一般原則」を表していますが、この原則を重視する国際法学者もいたのです。もちろん、戦犯裁判なるものは普通の司法裁判とは異なり、本質的に国家の戦争行為(軍事行動)の具現であり、アメリカに即していえば、大統領により行使が決定される行政権(戦争遂行権)の延長戦上にあるものと考えられ、司法裁判と同じレベルでの議論は適当ではないのですが、判決文中の判決理由は既判力を持ち得ないとの原則の一種の類推適用は妥当でありましょう。
外国には「裁判官は判決理由を説明する義務を有しない」(Judices non tenentur exprimere causam sententias suae)という法諺すらあって、判決理由がさまざまであり得る可能性を認めて、重要なのは事件の決着であり、刑事裁判でいえば、刑の宣告が緊要であって、判決主文中に宣告された刑の執行により一件落着をはかることが急務であるとの考え方を含蓄しています。
対連合国平和条約の発効により国際法上の戦争状態を終結させて独立を回復した日本の政府は、東京裁判の判決理由中に示された歴史観ないし歴史的事実認定――歴史の偽造(パール博士の言葉)として悪名が高い――を盲目的に受けいれる義務を負わず、いかなる批判や再評価をもその裁判や判決理由に下すことが自由であり、この自由こそが、講和を通じ代償を払って獲得した国家の「独立」の実質的意味なのです。
これは メッセージ 11404 (stefanie_nadeshiko さん)への返信です.
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