>>>>2.26事件
投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/07/21 17:08 投稿番号: [11091 / 17759]
>鎮圧の勅命が出された後で「大御心に待つ」という告示が出されたこと
>が問題なんですよ。
意味不明である。
荒木や真崎らが首謀者なら、何故、昭和天皇が川島陸相を最初に叱責した(26日午前9時頃)直後に昭和天皇を拘束しなかったのか。
何故、「大御心に待つ」などと生温い告示(26日午後3時半頃)に賛成したのか。
その後奉勅命令が出た時点でも、何故、奉勅命令を破棄させなかったのか。
>奉勅命令の直接の受領者ってのは意味不明ですが、もし発令者のことなら
>載仁参謀総長でしょう?
奉勅命令は、本来、天皇が参謀総長に下命するもので、さらに参謀総長の名義で命令内容を直接実行する現場指揮官に発令される。
直接の受領者は、本来、参謀総長である。
しかし事件当時閑院宮載仁親王総長は、襲撃されず無傷だったが、療養中であったため、杉山参謀次長が代理を務め奉勅命令を受領した。
>26日にも原隊復帰の奉勅命令は発令されてますが、下命されませんでした。
原隊復帰(抵抗すれば強制排除)の奉勅命令は、杉山次長への下命が27日未明、戒厳軍司令部での発動が28日午前5時頃。
>27日に載仁参謀総長名で発令された奉勅命令についても、皇軍の相撃を
>避けるという名目で荒木と真崎が干渉してきます。それを28日に石原が
>戒厳司令部から荒木、真崎を追い出してやっと下命されたという流れです。
軍事参議官らが叛乱将校を説得すること自体は、石原も賛成していたし、杉山も了承していたし、昭和天皇も承認していた。その間暫く(28日午前5時頃まで)奉勅命令の発動を見合わせることになった。
石原は、叛乱部隊がおとなしく投降すれば大赦を与える、という線で収拾を図ろうとしていた。
石原は、奉勅命令発動までなるべく時間を稼ぎながら何とか昭和天皇を宥める可能性を探っていたし、奉勅命令発動後もなお叛乱部隊に軍使を派遣し説得と時間稼ぎを企んだ。
>荒木、真崎は勅命も奉勅命令も無視しクーデターを推進し、参謀本部と対立
>したというのは覆せないでしょう?
荒木や真崎らは、
「軍事参議官の参考意見を述べているだけあって、省部に対して指図するつもりはない」
「奉勅命令には逆らえない、逆らうなら討伐せざるを得ない」
旨の発言をしていた。
荒木や真崎は、叛乱将校を何とか庇おうとはしたが、結局挫折した。
昭和天皇の鎮圧方針を変えることはできず、叛乱将校を最終的に見捨てた。
>2.26事件は叛乱将校の衝動的な決起だったか否か。
叛乱将校の計画的な決起であるが、荒木や真崎らにしてみれば、前々から詳しく知らされていた訳ではなく何の準備もなかったし、「昭和維新」後の新政府を作ることも昭和天皇を無理矢理拘束することも不可能であった。
>が問題なんですよ。
意味不明である。
荒木や真崎らが首謀者なら、何故、昭和天皇が川島陸相を最初に叱責した(26日午前9時頃)直後に昭和天皇を拘束しなかったのか。
何故、「大御心に待つ」などと生温い告示(26日午後3時半頃)に賛成したのか。
その後奉勅命令が出た時点でも、何故、奉勅命令を破棄させなかったのか。
>奉勅命令の直接の受領者ってのは意味不明ですが、もし発令者のことなら
>載仁参謀総長でしょう?
奉勅命令は、本来、天皇が参謀総長に下命するもので、さらに参謀総長の名義で命令内容を直接実行する現場指揮官に発令される。
直接の受領者は、本来、参謀総長である。
しかし事件当時閑院宮載仁親王総長は、襲撃されず無傷だったが、療養中であったため、杉山参謀次長が代理を務め奉勅命令を受領した。
>26日にも原隊復帰の奉勅命令は発令されてますが、下命されませんでした。
原隊復帰(抵抗すれば強制排除)の奉勅命令は、杉山次長への下命が27日未明、戒厳軍司令部での発動が28日午前5時頃。
>27日に載仁参謀総長名で発令された奉勅命令についても、皇軍の相撃を
>避けるという名目で荒木と真崎が干渉してきます。それを28日に石原が
>戒厳司令部から荒木、真崎を追い出してやっと下命されたという流れです。
軍事参議官らが叛乱将校を説得すること自体は、石原も賛成していたし、杉山も了承していたし、昭和天皇も承認していた。その間暫く(28日午前5時頃まで)奉勅命令の発動を見合わせることになった。
石原は、叛乱部隊がおとなしく投降すれば大赦を与える、という線で収拾を図ろうとしていた。
石原は、奉勅命令発動までなるべく時間を稼ぎながら何とか昭和天皇を宥める可能性を探っていたし、奉勅命令発動後もなお叛乱部隊に軍使を派遣し説得と時間稼ぎを企んだ。
>荒木、真崎は勅命も奉勅命令も無視しクーデターを推進し、参謀本部と対立
>したというのは覆せないでしょう?
荒木や真崎らは、
「軍事参議官の参考意見を述べているだけあって、省部に対して指図するつもりはない」
「奉勅命令には逆らえない、逆らうなら討伐せざるを得ない」
旨の発言をしていた。
荒木や真崎は、叛乱将校を何とか庇おうとはしたが、結局挫折した。
昭和天皇の鎮圧方針を変えることはできず、叛乱将校を最終的に見捨てた。
>2.26事件は叛乱将校の衝動的な決起だったか否か。
叛乱将校の計画的な決起であるが、荒木や真崎らにしてみれば、前々から詳しく知らされていた訳ではなく何の準備もなかったし、「昭和維新」後の新政府を作ることも昭和天皇を無理矢理拘束することも不可能であった。
これは メッセージ 11080 (nita2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/11091.html