終戦後の北朝鮮の思い出

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北朝鮮の思い出(5)

投稿者: haibokunohateni1945 投稿日時: 2012/09/05 19:28 投稿番号: [6 / 7]
昭和十七年ソ連はドイツ軍に攻撃され降伏寸前でした。日本は、この戦争で日独伊が同盟の締結をして居るので、此の時当然独軍に協同する声明を出すのが同盟国と云うものですのに、日ソ不可侵条約を結んでいるからとか言って、ドイツに同調せぬ為、ソ連は滅亡から逃れた。此の時日本軍が弾は一発も打たなくても、声の唯一声だけでソ連という鬼畜民族は滅亡して居たのです。そして此の度の敗戦は決して無かった筈であり、又敗戦後の満州・朝鮮に居住していた日本人が地獄の果ての様な悲惨極まる悲劇を受けずに済んで居た筈でした。
又、ソ連という共産国の為に世界平和を乱される様な事も無かった。謂わば、彼の時ソ連を生かすも殺すも、生殺与奪の権を握って居た日本が大バカ者だった為、すべての責任は皆日本の指導者に有るのです。
斯うして、日本そのものが飼い犬に咬まれたより情けない馬鹿な目に逢ったのです。日本が日ソ不可侵条約という馬鹿な信義に捕らわれた為、ソ連も信義を守ってくれるとでも思って居たのでしょうか。世界一を誇る関東軍の大半は南方方面出して居た。所詮日本はソ連を信用してソ満国境方面は空にして居た処へ、八月八日の米軍が広島に原子爆弾を落とした直後、突然ソ連は日本を裏切りソ連軍は満州に攻め込んできた。虚を突かれた日本軍は防戦出来ず満州の戦野で、退却に退却を重ねている中、終戦の勅許が発令されたのでした。
故に、満州においては、満州に居た人間は此の戦争に巻き込まれ、日ソ両軍の戦争と云うものを現実に見て、戦禍に会って居りますが、朝鮮においては戦争と云っても、敗戦したと云っても、戦車一台走った訳でも弾の一発も撃った訳でもない。朝鮮五十万の精鋭は未だ無傷で来るべき戦闘に待機して居たのに、終戦の勅許が下り日本が敗戦し、軍は武装解除される。同じ外地でも満州、支那方面の住民は戦争と云うものを直接に体験し戦禍にも会って居るけれども、朝鮮に住んで居た人はこの点、戦争と云うものを全然知らぬ。防空壕は掘った、夜灯火管制幕は張ったけれども敵機が飛来した事は一度も無い。戦争の為、物資が不足し配給統制経済に成っていたが、内地に比べて其れは序の口程度だった。興南(北朝鮮の大工業都市)の様な日本人の何十万と云う程、居住して居る大都市では日本人には召集令状が来て出征兵士の見送りも随分あった。漢口、徐州が陥落した頃には提灯行列等の祝賀催しが有り、戦勝気分で歓呼の声を張り上げた事もあったが、其れは興南の様な日本人の多い都市だけの事で朝鮮も一歩田舎に入ると、田舎の朝鮮人達は此の戦争に何の関心も無かった。
内地なら、日本人はどんな田舎でも召集令状も来れば、動員もされ、戦争と個人まで密接な繋がりが有るが、田舎の朝鮮人には戦争と関係がなかった。此の戦争が始まって以来、兵隊を見た事も無い朝鮮人が大多数だった。
私の居る退汐だって日本海一の漁港だと云うのに、此処まで数年兵隊を見た事も無い朝鮮人が多数居た位だから、戦争を人ごとに考えて居るのも無理はない。斯う云う彼等朝鮮人に突然日本が負けた、朝鮮が独立するのだと云う事に成ったので彼ら朝鮮人は驚きました。
無論、朝鮮人達の中には日本が勝っても負けても関係ないと云う朝鮮人が多数居た事は間違いありませんが、朝鮮人の一部に主義者達が、やれ「独立・独立」と激しく扇動し、「今こそ日本人に、長年の恨みを果たせ」と、狂犬のように吠えたて始めましたので何も知らぬ朝鮮人達は群集心理に巻き込まれて、朝鮮人全体が背中に火を付けられたように狂ってしまいました。穏やかな親日的な此の退汐の住民達も無論その中の一員に巻き込まれて行くのでした。
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