入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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敗走中国兵による略奪・放火

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/05/29 15:19 投稿番号: [854 / 2250]
日本軍は敗走する中国兵を追って西へ進撃しました。
この時、三光作戦をやったという話があります。

果たしてどうなのでしょうか。略奪などが全くなかったとは言いませんが、
実は日本軍が来る前に中国軍が先にやっているのです。

上海から南京へ敗走する途中、中国軍は略奪や放火をやりました。
これについては、幾つかの証言があります。



ラーベの日記
《 11月10日

上海から戻ってきたわが国の軍事顧問の話では、前線のうしろでは、
軽傷を負った中国人の兵士たちがうろついているという。

もう統制がとれなくなっているのだろう。
そのため、夜はもはやモーゼル拳銃なしには旅はできないそうだ。


11月16日   蘇州では、
舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。

済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。
日本人の進攻を防ぐため。》



孫元良の回想録

《やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、
蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった》

(鈴木明著   『新 「南京大虐殺」   のまぼろし』   211p)



第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏の東京裁判宣誓供述書

《上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が
焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。

これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、
支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた》

(富士信夫著   『「南京大虐殺」   はこうして作られた』   211〜212p)



第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏の供述書

《 わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、
蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、

蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める」・・・

南京の東方約八里   (注・約三十二キロ)   の山地帯で敵の大きな抵抗にあった。
・・・この付近では営舎として利用できる家屋は支那軍のため焼却されていて一軒もなく、

日本軍はすべて野営した。》
(富士信夫著   『「南京大虐殺」   はこうして作られた』   210p)



徐永昌の日記

《 11月26日   聞くところによれば、蒋介石は、不安分子がリツ水、リツ陽
などで強奪・強盗などを働いたと聞いて激怒したとの事 》

(鈴木明著   『新 「南京大虐殺」   のまぼろし』   220p)



これらの行為は、兵によるものですが、国家的政策によって行われたものもあります。
それは清野作戦です。中国は日本軍が近づくと   「鎮江」   の街を焼き払いました。

そして南京の周り半径十六キロ以内の建物を全て焼き払ったのです。
その目的は、日本軍に利用できる物は何も与えない、という、ただそれだけの為に。



また、前述の大内義秀氏の証言
(富士信夫著   『「南京大虐殺」   はこうして作られた』   210p)   には

ある部落   (名前は失念)   には婦女子が数名残留していたので、
そこへの立ち入りを厳禁していたら、ある日の夜、

この部落から赤・青の信号弾が打ち上げられ、急に敵弾が集中飛来してきた。
翌朝その部落を捜索したが、一人もいなかった。

というのもあります。こういう事をしていたら、婦女子が殺される事になっても
仕方がないでしょう。   しかしそれは、無辜の民の虐殺とは違うのです。
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