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7月26日 広安門事件5 桜井顧問転落

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/12/01 18:37 投稿番号: [653 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
326〜328p

《 さんざん連長をいためつけたあげく、最後に背負投げではね飛ばし、
わずかの隙に身を跳らせて、丈余の城壁をその内側に跳びおりた。

地上四メートルの所に、コンクリートの屋根があった。
その屋根の上に墜ちて右足首を捻挫骨折し、バウンドした体はさらに

電線にひっかかり、もんどりうって家と家との間、狭い空地に肩から
先に転落した。 傷ついた顧問に射撃と手榴弾が執ように追いかけてきた。



不死身の顧問は近くに物置小屋をみつけ   そこに身を横たえ
あたりから棒切れや煉瓦をかき集め、敵がここまで追いかけて来たら、

これをたたきつけて最後の格闘を試みるつもりだった。左股の銃創にうずく身を、
小屋の中に横たえると、別にまた胸の痛みを感じ始めてきた。

さきほど連長と格闘したさい、連長が拳銃の銃口を強く胸に突込んで来た
その痛みである。

身動きならぬ身体に耳をすますと、城壁の内と外、銃声はますます激しさを加え、
戦闘の熾烈 (しれつ) さが手にとるようだ。



第一線両中隊は城壁下五、六十メートルに肉迫し、城壁上の敵に果敢な攻撃を反律した。
しかし城壁には、突撃路となるような登り口が見当らない。

攀登 (はんと) 材料の梯子も手に入らないので、
第一回の攻撃は一応断念しなければならない。

大隊は取りあえず北綫閣 (ほくせんかく) の北側、土塀で囲まれた家屋に兵力を集結し、
おもむろに再挙を計る事となった。時計はもう、十時を回っている。

その時、後方、自動車隊の方角に当って、けたたましい銃声がわき起った。
背面からの敵襲だ。

これより先、自動車隊の早川大尉は運転手や第一線の負傷兵、新聞記者たち
非戦闘員までもかき集めて、至厳な警戒配置についていた。

ところが広安門の急を知った北京城内の中国軍は、続々増援隊を繰り出して来て、
一ヶ団を下らない優勢な敵が徐々に広部大隊を包囲し始めた。



まず菜市口 (ツァイシーコ−ル) から真西、広安門街道をまっすぐ突き進んで来た
中国軍の一隊は、関帝廟の近くで我が自動車隊にぶつかった。

これはあるいは敵の威力偵察だったのかもわからない。
敵は我が兵力が極めて少ないことを知るや、猛然と襲いかかって来た。

暗夜、彼我の距離、十数メートルという近迫戦である。

早川大尉はわずか十数挺しかない小銃を柵のように並べさせ、
矢つぎ早に撃って撃って撃ちまくった。

新聞記者も手榴弾をとりあげて、敵兵目がけて投げつけた。

果敢な応戦ぶりに、敵は我が兵力をかなり大きなものと誤算したらしく、
次第に後退し始め、やがて暗闘の中に消えていった。



トラック上の負傷兵や非戦闘員は、ようやく胸を撫で下したのも束の間、
新手の勢を加えた敵は、路次を伝わって今度は真東、自動車隊の側面に現われて来た。

それとは別に、もう一つの新しい敵が真北から現われ、
ほとんど三面包囲された形になってしまった。

早川大尉は   −   もうこうなっては四面皆敵だ。しかし俺達は自動車隊だ。
本道を失ってしまったら隊としての生命はない。

断乎本道方面に血路を切り開いてやろう   −   と考えた。
大尉は率先血刀を提げ、二、三の兵を率い、本道方面、敵の真っ唯中に斬り込んで行った。

その時、敵の投じた手榴弾が大尉の直前で炸裂した。
大尉の下半身には大小の破片が無数に突き刺さっていった。



鮮血にまみれ、起ち上る事も出来ない重傷を負いながら、
大尉はなお励声叱咤、部下を鼓舞激励して、一意応戦に努めた。

敵は、我が底知れぬ抗戦力におそれを抱いたらしく、それ以上の強襲をする事なく、
次第に囲みを解いて東の方に後退して行ってしまったのである。

自動車隊は、最後までその位置を確保し得ると共に車輌の援護をも
完 (まっと)う する事が出来たのだ。》


つづく
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