オーストラリア軍の残虐2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/02/28 16:17 投稿番号: [360 / 2250]
http://www.tamanegiya.com/tutiyayasuo21.12.12.html
より引用
《<その中でも豪州兵は目立って程度が悪かった。その兵舎を膝をついて
雑巾がけしていると、いきなり私の額でタバコの火を消されたことがあった。
くそっと思ってにらみつけると平気な顔で新聞を読んでいる。
激しい憎悪がその横顔に浮かんでいる。
ドスンと目の前に腰をおろし、その拍子のようにして
靴先でいやというほどあごを蹴り上げられたこともある。
私をひざまずかせ、足かけ台の代わりにして足をのせ、
一時間も辛棒 (ママ) させられたこともあった。
ある日K班長が、青ざめ、顔をひきつらせて豪州兵の兵舎作業から帰ってきた。
聞くとかれは、豪州兵の便所で小便をしていると、入ってきた兵士にどなられ、
ひざまずかせて口をあけさせられ、顔に小便をかけられたという。
日本兵は便器でしかないという表示である。
そのすこし前に配達された妻からの便りを手にしていなかったら、
このおとなしい兵隊は、死刑覚悟でその豪州兵を
殺していたかもしれないほどの形相であった。>P七〇〜七一
(会田雄次氏の著書 「アーロン収容所」(中公文庫)より) 》
--------------
《<公刊戦史はムアル戦線でオーストアリア部隊と遭遇した
日本軍負傷兵の運命について、はっきり書いていない。
略)
「守勢にあるので捕虜をとる状況に無く、
今までの経験からして敵の負傷兵をそのままにはできない。
死んでいると思われるか負傷している敵兵に近づくときは最大限の注意を払い、
銃剣を使え。要するに命令は 『捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな』
というものであった」
略)
もちろん大隊の戦場日誌にはアンダーソン
(引用者注 直接指揮していた第一九大隊長チャールズ・G・W・アンダーソン中佐)
が正式にそのような指示をしたとは書いていない。
しかしムアル戦線で戦ったオーストラリア兵の間では、状況の緊急性から考えて
「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」 というのが少なくとも
公式に認められた 『指示』 だったということは、広く受けいられてきた。
指示がどこから出たかについて不安な人たちでさえ、これらが一月一九日から
二二日までの絶望的な七二時間に採用された戦術であったことは認める。>
(P二〇七〜二〇八)
<否定できない事実は、マレー作戦の中で最も激しかった四日間と半日の戦闘のあと、
オーストラリア軍は一人も捕虜をとらなかったということだ。
白兵戦により日本軍は二千人の死者を出し、ほとんどは近衛師団だった。
もう一つの否定できない事実は、戦闘の状況からして、
オーストラリア部隊は日本の負傷した兵士をその場で殺したことだ
(みかたによっては処刑したことになる)。
さらに、命令ではないにしても、捕虜をとらず負傷兵をそのままにしない
というのは、少なくとも一般的な了解だった。>
(p二一八〜二一九)
「将軍はなぜ殺されたか」(イアン・ウォード著 二〇〇五年原書房刊)》
* 「捕虜をとるな」、これは南京で中島師団長が 「大体捕虜はせぬ方針なれば」
と言ったとされているのと同じ状態。
しかし、悪く言われるのは日本軍だけ。
より引用
《<その中でも豪州兵は目立って程度が悪かった。その兵舎を膝をついて
雑巾がけしていると、いきなり私の額でタバコの火を消されたことがあった。
くそっと思ってにらみつけると平気な顔で新聞を読んでいる。
激しい憎悪がその横顔に浮かんでいる。
ドスンと目の前に腰をおろし、その拍子のようにして
靴先でいやというほどあごを蹴り上げられたこともある。
私をひざまずかせ、足かけ台の代わりにして足をのせ、
一時間も辛棒 (ママ) させられたこともあった。
ある日K班長が、青ざめ、顔をひきつらせて豪州兵の兵舎作業から帰ってきた。
聞くとかれは、豪州兵の便所で小便をしていると、入ってきた兵士にどなられ、
ひざまずかせて口をあけさせられ、顔に小便をかけられたという。
日本兵は便器でしかないという表示である。
そのすこし前に配達された妻からの便りを手にしていなかったら、
このおとなしい兵隊は、死刑覚悟でその豪州兵を
殺していたかもしれないほどの形相であった。>P七〇〜七一
(会田雄次氏の著書 「アーロン収容所」(中公文庫)より) 》
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《<公刊戦史はムアル戦線でオーストアリア部隊と遭遇した
日本軍負傷兵の運命について、はっきり書いていない。
略)
「守勢にあるので捕虜をとる状況に無く、
今までの経験からして敵の負傷兵をそのままにはできない。
死んでいると思われるか負傷している敵兵に近づくときは最大限の注意を払い、
銃剣を使え。要するに命令は 『捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな』
というものであった」
略)
もちろん大隊の戦場日誌にはアンダーソン
(引用者注 直接指揮していた第一九大隊長チャールズ・G・W・アンダーソン中佐)
が正式にそのような指示をしたとは書いていない。
しかしムアル戦線で戦ったオーストラリア兵の間では、状況の緊急性から考えて
「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」 というのが少なくとも
公式に認められた 『指示』 だったということは、広く受けいられてきた。
指示がどこから出たかについて不安な人たちでさえ、これらが一月一九日から
二二日までの絶望的な七二時間に採用された戦術であったことは認める。>
(P二〇七〜二〇八)
<否定できない事実は、マレー作戦の中で最も激しかった四日間と半日の戦闘のあと、
オーストラリア軍は一人も捕虜をとらなかったということだ。
白兵戦により日本軍は二千人の死者を出し、ほとんどは近衛師団だった。
もう一つの否定できない事実は、戦闘の状況からして、
オーストラリア部隊は日本の負傷した兵士をその場で殺したことだ
(みかたによっては処刑したことになる)。
さらに、命令ではないにしても、捕虜をとらず負傷兵をそのままにしない
というのは、少なくとも一般的な了解だった。>
(p二一八〜二一九)
「将軍はなぜ殺されたか」(イアン・ウォード著 二〇〇五年原書房刊)》
* 「捕虜をとるな」、これは南京で中島師団長が 「大体捕虜はせぬ方針なれば」
と言ったとされているのと同じ状態。
しかし、悪く言われるのは日本軍だけ。
これは メッセージ 359 (kireigotowadame さん)への返信です.