第二次南京事件8 漢口9
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/25 15:55 投稿番号: [1343 / 2250]
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』
田中秀雄編集・解説
芙蓉書房
93〜95p
《 四月三日の事変当日は二人の友人と郊外に出て夕方帰ろうとすると、
支那人の馬車屋で顔見知りの者があって、
今日本租界は支那人と日本水兵の衝突で非常の騒ぎだから、今行ったのでは命が危ない、
つい今しがた行った日本人は途中で殴られていたが、どうなったか分らぬと言う。
それだけの話では詳しいことは分らぬが、
とにかく水兵と群衆と衝突したとすれば容易ならぬ問題だ、
普通の道を行くのは危ないというので、まず間道を取って日本公園に入ることにした。
すると同じ方面に出ていた二三人の連中と途中で一緒になった。
そこで考えたのは公園内の日本人住宅に電燈がついていればまず大丈夫だが、
もしそうでなければ公園に入るのも危険だというのでお互いに相戒めつつ
公園の土堤下まで来ると電燈は見えない。
そっと住宅附近を覗いてみると七八人の支那人がやってくる。
薄暗がりで何者か分らぬ が、いずれにせよ身体をむき出しにして行くのは危ないので、
皆が樹木の蔭に隠れつつ進むことにして土堤を伝うて乗馬会の厩舎に行き着いた。
そこにいる馬丁頭の支那人は知り合いなので取り敢えず様子を聞くと
やはり途中の馬車屋の話と同様である。
そして今は支那軍隊が出て固めているから通行はだめだ、
ここで今晩を明かしたらどうかと言う。
しかし馬と一緒の宿という訳にもいかず、それに家内のことが気にかかるので
皆で相談の結果、領事館に通じて自動車なり何なりで救出してもらおうというので
支那人を密使に出したが、三人出したのが三人とも通行止めだと称して引き返して来る。
電話は無論切断されて通じない。はなはだ困った。夜はだんだんに更けてゆく。
そのうちにまた二人のやはり郊外に出ていた者が加わった。
その話によると最初三人で歩いていたが、途中で四五十人の群衆に襲われ命からがら
逃げてきたが、その中の伊藤某氏は群衆に捕われ今頃は殴り殺されてるかも分らぬと言う。
これを聞かされた一同はますます気味悪さが募る、しかしどうすることもできない。
厩舎の薄暗い電燈の下で顔見合わしては吐息をついていた。
そこへ民団吏員の一人が公園内の住宅にこっそり帰ってきたので大体の様子が分り、
租界内もほとんど群衆は退散して現在は大した危険はないと言うので、
八人の者は始めて力を得て公園を出で途中で支那の巡警に護送され、
首尾よく日本租界に入ることができた。
さて自分の家に帰ってみると家中はがらあきである。妻女の影も見えない。
何がなにやらさっぱり分らぬ。
そのうちに友人が来て皆汽船に逃げたから早く行けというので、公園に残った
四人の救出方を領事館に届け出で、船に行くと避難民のすし詰めである。
女子供は極度の恐怖に脅えている。人間と人間が重なり合うたようにして
込み合うている。中には病人もあり実に悲惨なものと思うた。
ようやく妻女を尋ね出したが、着の身着のままではあるが無事に避難していたので、
自分は早速義勇隊に出ることにして、一応家に帰り服装を改め夜の十二時から
陸戦隊の歩哨と一緒に任務に就いた。(桜井悌吉氏談)》
つづく
93〜95p
《 四月三日の事変当日は二人の友人と郊外に出て夕方帰ろうとすると、
支那人の馬車屋で顔見知りの者があって、
今日本租界は支那人と日本水兵の衝突で非常の騒ぎだから、今行ったのでは命が危ない、
つい今しがた行った日本人は途中で殴られていたが、どうなったか分らぬと言う。
それだけの話では詳しいことは分らぬが、
とにかく水兵と群衆と衝突したとすれば容易ならぬ問題だ、
普通の道を行くのは危ないというので、まず間道を取って日本公園に入ることにした。
すると同じ方面に出ていた二三人の連中と途中で一緒になった。
そこで考えたのは公園内の日本人住宅に電燈がついていればまず大丈夫だが、
もしそうでなければ公園に入るのも危険だというのでお互いに相戒めつつ
公園の土堤下まで来ると電燈は見えない。
そっと住宅附近を覗いてみると七八人の支那人がやってくる。
薄暗がりで何者か分らぬ が、いずれにせよ身体をむき出しにして行くのは危ないので、
皆が樹木の蔭に隠れつつ進むことにして土堤を伝うて乗馬会の厩舎に行き着いた。
そこにいる馬丁頭の支那人は知り合いなので取り敢えず様子を聞くと
やはり途中の馬車屋の話と同様である。
そして今は支那軍隊が出て固めているから通行はだめだ、
ここで今晩を明かしたらどうかと言う。
しかし馬と一緒の宿という訳にもいかず、それに家内のことが気にかかるので
皆で相談の結果、領事館に通じて自動車なり何なりで救出してもらおうというので
支那人を密使に出したが、三人出したのが三人とも通行止めだと称して引き返して来る。
電話は無論切断されて通じない。はなはだ困った。夜はだんだんに更けてゆく。
そのうちにまた二人のやはり郊外に出ていた者が加わった。
その話によると最初三人で歩いていたが、途中で四五十人の群衆に襲われ命からがら
逃げてきたが、その中の伊藤某氏は群衆に捕われ今頃は殴り殺されてるかも分らぬと言う。
これを聞かされた一同はますます気味悪さが募る、しかしどうすることもできない。
厩舎の薄暗い電燈の下で顔見合わしては吐息をついていた。
そこへ民団吏員の一人が公園内の住宅にこっそり帰ってきたので大体の様子が分り、
租界内もほとんど群衆は退散して現在は大した危険はないと言うので、
八人の者は始めて力を得て公園を出で途中で支那の巡警に護送され、
首尾よく日本租界に入ることができた。
さて自分の家に帰ってみると家中はがらあきである。妻女の影も見えない。
何がなにやらさっぱり分らぬ。
そのうちに友人が来て皆汽船に逃げたから早く行けというので、公園に残った
四人の救出方を領事館に届け出で、船に行くと避難民のすし詰めである。
女子供は極度の恐怖に脅えている。人間と人間が重なり合うたようにして
込み合うている。中には病人もあり実に悲惨なものと思うた。
ようやく妻女を尋ね出したが、着の身着のままではあるが無事に避難していたので、
自分は早速義勇隊に出ることにして、一応家に帰り服装を改め夜の十二時から
陸戦隊の歩哨と一緒に任務に就いた。(桜井悌吉氏談)》
つづく
これは メッセージ 1341 (kireigotowadame さん)への返信です.