句容攻略と百人斬り記事 第3号
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/07/31 18:46 投稿番号: [128 / 2250]
児島襄著『日中戦争4』182p
《蒋介石は、十二月五日、「守土責任」 を放棄する官吏、軍人は例外なく軍法会議で
処断する旨を布告し、句容西方の湯山陣地を視察した。
ところが、蒋介石が守将の第六十六軍第一五九師長譚邃と対談している午前十一時ごろ、
はやくも前方に日本軍の出現が報告され、銃声もきこえた。
蒋介石は、「鎮静」 に、かつ、す早く丘をおりて南京に帰ったが、
午後一時には句容の陥落、
午後四時には天王寺から北上してきた日本軍 (第九師団第三十六連隊) が、
句容西方の淳化鎮に進出したとの報告をうけた。》
戦史叢書『支那事変
陸軍作戦1』424p
《第十六師団の追撃隊は、五日、句容付近に陣地を占領した敵を突破し、
第九師団の追撃隊は、同日、南京第一線陣地である淳化鎮付近に進出した。》
百人斬り新聞記事
〔昭和12年12月7日
大阪毎日新聞朝刊
〕
《百人斬り競争の二少尉/相変らず接戦の猛勇ぶり
丹陽にて【三日】句容にて【五日】浅海、光本本社特派員発
南京を目ざす「百人斬り競争」の二青年将校、片桐部隊向井敏明、野田毅両少尉は
句容入城にも最前線に立つて奮戦、入城直前までの成績は向井少尉は八十九名、
野田少尉は七十八名といふ接戦となつた
(両少尉の写真)
敗けず劣らずの野田少尉(右)と向井少尉(左)
(常州にて−佐藤本社特派員撮影)》
記者は、向井少尉が丹陽にて負傷し、入院していることを知らずに書いている。
向井少尉は12月15日まで入院しているから、丹陽から句容はおろか南京戦にもいない。
これは メッセージ 127 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/128.html