Re: 南京への道程――武力侵攻の実態(3)
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/02 19:25 投稿番号: [1226 / 2250]
>唐生智が脱出した
下関から
揚子江の対岸に逃れる
経路には
わずかな渡河材料が
あるだけで、大混乱になり、13日の午後、
いかだや小船で
脱出しようとする中国兵が、海軍の第十戦隊の
砲艦や駆逐艦で撃滅された。
バカだねー。
中国兵が逃げ出したのは、「13日の午後」
ではなく、
12日の夜だよ。
ユウ江門には宋希濂の部隊が出させまいとして撃ち殺していた。
だから死体の山になっていた。
宋希濂の回顧録
『鷹犬将軍』
より
《 下関はさらに混乱、船は少なくなった。
それでも人びとは船を奪い合い、勝手に発砲した。
船は重量に耐えられず、長江の半ばで転覆するものや、
河に漕ぎ出した船を撃って、民船を沈没させる者もいた。
まさに、地獄絵そのものだった。》
脱出をあきらめたものは便衣に着替え、安全区に隠れた。
翌13日の朝、佐々木隊が来る。
この時には、中国兵はもういない。
佐々木隊は大量の死体を発見するが、自分たちが一番乗りで、
他に誰も知らない事を好いことに、戦果にしてしまう。
ついでに、揚子江を流れる漂流者や死体に発砲して、手柄にしてしまう。
このあと、第6師団がやってくる。
彼らも、死体を戦果にしてしまう。
12時ごろ海軍は閉塞線を突破し、南京に向けて進撃する。
そこに、大量の漂流者や死体が流れて来、これに発砲して戦果にする。
これらは三重に重複しているが、日本軍の戦果ではない。
中国軍の同士討ちによって出来た死体。
同じ同士討ちの死体が太平門でもあった。
これも、日本軍は戦果にいれている。
市内にも、12日夜の混乱で大量の死体や焼け焦げた死体ができている。
日本軍は、勝手に戦果に加えている。
そして、もっと後から来た者は、その死体を日本軍が作ったと勝手に想像した。
それらが、合成されて、戦後、「私は見た、大虐殺はあった」
という者がでてくる。
ただ、それだけの事。
これは メッセージ 1207 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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