中国の反日デモ

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喧嘩の仕方2

投稿者: haitink777 投稿日時: 2006/10/30 14:25 投稿番号: [79751 / 95793]
高山正之氏の『歪曲報道』   そのメディアの騙しの手口   の前書きが、あんまりスバラシくて、省略するのが勿体無いので、続きを貼らせていただきます。
この本、欲しい〜。

以下、#79717の続きです。 ----------------------------

反発されたのは今度が初めてだった」と。日本人には有効な「決め言葉だったのに」と笑っていた。

ここで注釈をつけると、彼のいう「日本人」は新聞記者であり、総領事館のスタッフ、っまり各省庁からの役人であり、一流企業の駐在員など世論にコミットする世界の人々だ、そんな彼らは朝鮮併合の中身も近代史も何も知らない。特派員に至っては、そういうあやふやな知識で微妙な国際問題をさもまともそうに記事にしている。
あまりぞっとしない話だが、実はこの米国人の「決め言葉」と同じものを支那の南京でも聞かされた。
日本軍が南京を落とした後、6週間にわたって市民30万人を殺した、つまり毎日7000人ずつ42日間、殺し続けたその証拠を留めるという「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」を見に行ったときのことだ。
展示場はいかにもおどろおどろしくつくられているが、もともと虚構の事件だから物証などあるはずもない。だから展示品は「日本軍の虐殺の証拠写真」とかだが、すでに東中野修道・亜細亜大学教授が解き明かしているように、どれもこれも検証してみれば同じ人物や同じ場所で演出されたいんちき物ばかり。
まともな実写は『アサヒグラフ』に載った日本軍兵士らの写真で、もともとのキャプション「農家から鶏を買った笑顔の兵」というのが「農家を略奪し農民を皆殺しにして家禽を略奪した日軍兵士」と変えてある。そう変えさせたのは江沢民だ。
当時の南京には市民は20万人もいなかった。日本軍が入城後は平静に戻り、道端で支那人の床屋に髭をあたってもらっている日本軍兵士の写真などが当時の『朝日新聞』にも載っている。
中国が主張する毎日7000人ずつ「6週間休みなく殺し続けた虐殺」のそのさなかに報道班員としてやってきた作家の石川達三はもちろん、そんな虐殺を見てもいない。
その後に執筆した『武漢作戦』では、そのときの南京の風景をべースにしたこんな下りもある。

野口伍長が一等兵に声をかける。
「ちんばをひいとるな。全快したのか」
「もう二、三日すれば全快します」
「今までどこの病院にいたのだ」
「南京にいました」
「南京は賑やかになっとるか」
「はあ、もうカフェでも何でもあります。ネオンサインがついております」

その南京でガイドについたのが中国共産党の下部機関、南京大虐殺研究会のメンバー・戴国偉で、彼はその目で見てきたように日本軍の「虐殺の模様」を日本語で語り続ける。
話している彼もその荒唐無稽さに気づいているようで、その辺を指摘すると、彼は唖然とした顔つきでこちらを見た。
それはあの米国人の表情と同じだった。
戴某は開き直る。「私はここを訪れた日本の立派なジャーナリストのガイドも務めました。みんな納得しています。疑う声はないのです」。
どんな連中かと聞くと、「朝日新聞の本多勝一」に「筑紫哲也」に「久米宏」……。
「日本人の観光客にも話します。話をすると日本人はみな申し訳ないといいます。泣いて謝る人もいます」
米国人の言葉に見せる日本人の反応とこれもそっくりだ。
ただ問題は立派かどうかはともかく本多にしろ、筑紫や久米にしろ、少なくともジャーナリストの端くれにある者が中国人の言い分を検証もしない、調査もしないで、あたかも真実のように流してきたことだ。
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