喧嘩の仕方
投稿者: haitink777 投稿日時: 2006/10/29 08:15 投稿番号: [79717 / 95793]
>お前ら
喧嘩の仕方も知らないのか!の麻生さんの言葉通りに。
麻生大臣の喧嘩のやり方を見てると参考になりますね。
この方も喧嘩上手みたいです。前書きが面白すぎ。
(なぜかURLが貼れないので、一部をコピペします)
高山正之氏の正論
高山正之(著)『歪曲報道』 そのメディアの騙しの手口
朝日新聞、NHK、TBS…あなたは、まだ彼らを信じられますか?
まえがき
ロサンゼルスに特派員として赴任して間もない頃、ちょっとしたホームパーティに誘われた。 (略)
すると彼、「アジアか」と深刻そうな顔つきをして「日本は昔、アジアの国々でたいそう悪いことをしたな」と言い出した。
いや別に、と否定すると、彼はかなりびっくりする。鳩が豆鉄砲を食らったようなという表情でこっちを見据えて「いや日本はひどいことをした。日本は朝鮮を植民地にしたではないか」という。
違うね、ともう一度否定する。朝鮮についていえば植民地じゃない。あれは併合だった。米国がテキサスを手に入れるときの併合と同じだ。それに日本の統治はうまくいった。少なくともフィリピンを植民地支配した米国に何かいわれるほど非道なことはしていない。
彼は真っ赤になって言い返す。「米国はフィリピンを開化させた。いいこと.をした。しかし日本は朝鮮で残酷なことしかしなかったではないか」。
お言葉ですが、と一言い返す。米国はフィリピン人に独立させてやるからと願して宗主国のスペインと戦わせた。スペインが降伏すると米国は約束を反故にしてフイリピンを米国の植民地にした。
怒ったフィリピン人が抵抗すると軍隊を出して彼らの虐殺を始めた。彼らの家族も捕まえて家に火をつけ拷問して殺した。
米国スペイン戦争は1898年4月に始まり8月にはスペインが降伏しているが、戦争はなぜかその後4年も続き、1902年に終わっている。
何をもって終わったかというとフィリピン人の抵抗が鎮圧された、もう米国の植民地支配を認めますといったときまで続いた。しかもその4年間で米軍はレイテ、サマールの2つの島の島民を皆殺しにするなど「20万人のフィリピン人を殺した」と上院の公聴会の記録に残っている。
朝鮮は違った。T・ルーズベルトが朝鮮はもはや国家の体をなしていないとはっきり発言して米公館を閉じ、日本に任せている。日本は学校をつくり、電気を引き、工業を興して真の意味の、つまりあなたのいう開化を行った。
そう説明すると、彼は「日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたのは事実だ」と吼えて、「もうこの話はやめだ」という。
日本をしたり顔でくさして、旗色が悪くなると、怒り喚く。こちらも少々むかついたので、「百歩譲って日本が朝鮮をフィリピン並みの植民地にしたとして、それでも日本が悪いというのは、もしかしてあなたは日本が植民地を持つことを詐せないと思ったのか。植民地を持つのは白人国家の特権と思っているのか」と畳みかけた。
彼は顔を真っ赤にして四文字の言葉を投げかけて、どこかに行ってしまった。
この男とはのちに再会する機会があった。彼はあのあと、フィリピンと朝鮮の歴史を調べてこちらの言い分が正しいのを知ったと、あっさり非を認めてきた。
そしてこう付け足した。「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな申し訳ないという。そういう形で付き合いの主導権を取ってきた。反発されたのは今度が初めてだった」と。日本人には有効な「決め言葉だったのに」と笑っていた。
麻生大臣の喧嘩のやり方を見てると参考になりますね。
この方も喧嘩上手みたいです。前書きが面白すぎ。
(なぜかURLが貼れないので、一部をコピペします)
高山正之氏の正論
高山正之(著)『歪曲報道』 そのメディアの騙しの手口
朝日新聞、NHK、TBS…あなたは、まだ彼らを信じられますか?
まえがき
ロサンゼルスに特派員として赴任して間もない頃、ちょっとしたホームパーティに誘われた。 (略)
すると彼、「アジアか」と深刻そうな顔つきをして「日本は昔、アジアの国々でたいそう悪いことをしたな」と言い出した。
いや別に、と否定すると、彼はかなりびっくりする。鳩が豆鉄砲を食らったようなという表情でこっちを見据えて「いや日本はひどいことをした。日本は朝鮮を植民地にしたではないか」という。
違うね、ともう一度否定する。朝鮮についていえば植民地じゃない。あれは併合だった。米国がテキサスを手に入れるときの併合と同じだ。それに日本の統治はうまくいった。少なくともフィリピンを植民地支配した米国に何かいわれるほど非道なことはしていない。
彼は真っ赤になって言い返す。「米国はフィリピンを開化させた。いいこと.をした。しかし日本は朝鮮で残酷なことしかしなかったではないか」。
お言葉ですが、と一言い返す。米国はフィリピン人に独立させてやるからと願して宗主国のスペインと戦わせた。スペインが降伏すると米国は約束を反故にしてフイリピンを米国の植民地にした。
怒ったフィリピン人が抵抗すると軍隊を出して彼らの虐殺を始めた。彼らの家族も捕まえて家に火をつけ拷問して殺した。
米国スペイン戦争は1898年4月に始まり8月にはスペインが降伏しているが、戦争はなぜかその後4年も続き、1902年に終わっている。
何をもって終わったかというとフィリピン人の抵抗が鎮圧された、もう米国の植民地支配を認めますといったときまで続いた。しかもその4年間で米軍はレイテ、サマールの2つの島の島民を皆殺しにするなど「20万人のフィリピン人を殺した」と上院の公聴会の記録に残っている。
朝鮮は違った。T・ルーズベルトが朝鮮はもはや国家の体をなしていないとはっきり発言して米公館を閉じ、日本に任せている。日本は学校をつくり、電気を引き、工業を興して真の意味の、つまりあなたのいう開化を行った。
そう説明すると、彼は「日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたのは事実だ」と吼えて、「もうこの話はやめだ」という。
日本をしたり顔でくさして、旗色が悪くなると、怒り喚く。こちらも少々むかついたので、「百歩譲って日本が朝鮮をフィリピン並みの植民地にしたとして、それでも日本が悪いというのは、もしかしてあなたは日本が植民地を持つことを詐せないと思ったのか。植民地を持つのは白人国家の特権と思っているのか」と畳みかけた。
彼は顔を真っ赤にして四文字の言葉を投げかけて、どこかに行ってしまった。
この男とはのちに再会する機会があった。彼はあのあと、フィリピンと朝鮮の歴史を調べてこちらの言い分が正しいのを知ったと、あっさり非を認めてきた。
そしてこう付け足した。「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな申し訳ないという。そういう形で付き合いの主導権を取ってきた。反発されたのは今度が初めてだった」と。日本人には有効な「決め言葉だったのに」と笑っていた。
これは メッセージ 79691 (yozakura321 さん)への返信です.
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