Re: 朝鮮人が日本人をあつかうの6ヶ条の秘
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/26 02:02 投稿番号: [74369 / 95793]
朝鮮人の書いた「日本人取扱説明書」
少々トピずれですが
以前、この話を見て笑ったことがあります
> 怨言 失志慷慨激出怒膓 「精神を失ったかのように憤ってはらわたから激しい怒りを出す」
まさに「火病」の原型ですが、演技だったのか〜〜と思いました
でも思い直しました、いやいや演技ではあれだけの迫力や馬鹿さ加減は出せないと
また、その頃ネットで見た話で、多分それと同じ時期に書かれた朝鮮通信使の紀行文に面白い話が載っていました
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
【 朝鮮通信使随行員のぼやき 】
徳川時代、第二回通信使(1764年)に随行した金仁謙は「日東壮遊歌」という日本紀行文を書きました
彼は日本(人)を見下して「倭奴」とか「穢奴」と言っているのですが、
将軍との謁見のときに日本関白(将軍)に国書を奉ずる儀式では、前後四回、四拝せねばならぬと聞いて、
「堂々たる千乗国の礼冠礼服着けたる身、頭を剃りたる醜類に四拝なんどは以ての外」
意味:『兵車(馬に引かせた戦車)を千台も出せるほどの大国朝鮮から、礼冠礼服を身に付けて使節の随行員としてやって来たこのぼくがだよ。あの頭を剃った醜いやからに四拝せねばならないとはとんでもないことだ』と
参席を拒み通したそうです
多分、この金さんの頭には、朝鮮では宗主国「清」から使節が来た時に、迎恩門まで朝鮮王自らが出迎え九叩三拝しなければならなかったことが頭にあったのではないかと思います
本来なら、日本の天皇が迎えに出るべきだ、何故関白(将軍)如きに頭を下げにゃならんと思っていたのでしょう
しかし、このときの朝鮮通信使の目的は将軍家治が襲封した祝賀に訪れたものであるので礼節を大切にする国の人にしては、使う言葉も汚ければ、考えも汚いし態度も理解できません。よほどプライドの高い人だったのでしょう
火病の元祖かと言いたいけど、そこまでは言いません。朝鮮の人に礼節を教えてもらったのですから
でも想像すると面白い。暴れ狂っている金さんの側で通信使正使の困った顔
さらに、朝鮮通信使随行員の金さんはこうも書いています
「館舎は本国寺、五層の楼門には
十余の銅柱、天に達するばかりなり
水石も奇絶、竹林も趣あり
倭皇の住む所とて、奢移をば極め
帝王よ、皇帝よと称して、子孫に伝う
犬の糞が如き臭類はことごとく追い払いて
四千里六十州を、朝鮮の地となし
王化に浴せしめて、礼儀の国に作りたし」
『泊まったところの本国寺の五層の楼門(五重塔?)には十いくつの銅の柱があって
天にも届くほどそびえている
(山水風の庭では)池や流れや庭石の組合せも巧みで、庭の隅の竹林も趣がある
倭皇(多分天皇のこと)の住むところも、贅沢を極め、帝王よ皇帝よ称して(代々)子孫に伝えている』
多分、長崎から大阪・京都・江戸と進んだ通信使一行は、朝鮮の町や村と日本の町とのあまりの違いに愕然としたことでしょう
見上げるような堂塔、綺麗に掃き清められた庭(や街道、賑わう町並み)
金さんには、とってもうらやましいものに思えたのでしょう
素直に書き綴っています
けれども、内心では、宮殿は別にして、うちの国には汚い、臭い、狭い。くっそ〜と思ったでしょうね
しかしながら金さんは礼節を知る大国朝鮮が礼儀も知らない倭奴に劣るはずはないと、俄然、プライドを取戻します
そうして、言います
『そうだ、犬のクソのような臭類(=穢奴=日本人)を全部追い払って
四千里六十州に及ぶこの素晴らしい土地を、朝鮮王のものとして
礼儀正しい、朝鮮族の住む国にしてやろう』
素晴らしいですね。この考え方、よそに素晴らしいものがあったら、努力して自分の国でも作ればよいのに(コピーばかり作ってもらっても困るけど)、日本人を追い出して取ってしまえなんて、
今の、朝鮮や中国の強盗団やピッキング窃盗団、暴力スリグループ以上の考え方です。
そして、今の在日の諸氏に綿々とこの考え方は引継がれているようです
結局、民族の資質・品格は時代が変ってもそう変らないようです
少々トピずれですが
以前、この話を見て笑ったことがあります
> 怨言 失志慷慨激出怒膓 「精神を失ったかのように憤ってはらわたから激しい怒りを出す」
まさに「火病」の原型ですが、演技だったのか〜〜と思いました
でも思い直しました、いやいや演技ではあれだけの迫力や馬鹿さ加減は出せないと
また、その頃ネットで見た話で、多分それと同じ時期に書かれた朝鮮通信使の紀行文に面白い話が載っていました
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
【 朝鮮通信使随行員のぼやき 】
徳川時代、第二回通信使(1764年)に随行した金仁謙は「日東壮遊歌」という日本紀行文を書きました
彼は日本(人)を見下して「倭奴」とか「穢奴」と言っているのですが、
将軍との謁見のときに日本関白(将軍)に国書を奉ずる儀式では、前後四回、四拝せねばならぬと聞いて、
「堂々たる千乗国の礼冠礼服着けたる身、頭を剃りたる醜類に四拝なんどは以ての外」
意味:『兵車(馬に引かせた戦車)を千台も出せるほどの大国朝鮮から、礼冠礼服を身に付けて使節の随行員としてやって来たこのぼくがだよ。あの頭を剃った醜いやからに四拝せねばならないとはとんでもないことだ』と
参席を拒み通したそうです
多分、この金さんの頭には、朝鮮では宗主国「清」から使節が来た時に、迎恩門まで朝鮮王自らが出迎え九叩三拝しなければならなかったことが頭にあったのではないかと思います
本来なら、日本の天皇が迎えに出るべきだ、何故関白(将軍)如きに頭を下げにゃならんと思っていたのでしょう
しかし、このときの朝鮮通信使の目的は将軍家治が襲封した祝賀に訪れたものであるので礼節を大切にする国の人にしては、使う言葉も汚ければ、考えも汚いし態度も理解できません。よほどプライドの高い人だったのでしょう
火病の元祖かと言いたいけど、そこまでは言いません。朝鮮の人に礼節を教えてもらったのですから
でも想像すると面白い。暴れ狂っている金さんの側で通信使正使の困った顔
さらに、朝鮮通信使随行員の金さんはこうも書いています
「館舎は本国寺、五層の楼門には
十余の銅柱、天に達するばかりなり
水石も奇絶、竹林も趣あり
倭皇の住む所とて、奢移をば極め
帝王よ、皇帝よと称して、子孫に伝う
犬の糞が如き臭類はことごとく追い払いて
四千里六十州を、朝鮮の地となし
王化に浴せしめて、礼儀の国に作りたし」
『泊まったところの本国寺の五層の楼門(五重塔?)には十いくつの銅の柱があって
天にも届くほどそびえている
(山水風の庭では)池や流れや庭石の組合せも巧みで、庭の隅の竹林も趣がある
倭皇(多分天皇のこと)の住むところも、贅沢を極め、帝王よ皇帝よ称して(代々)子孫に伝えている』
多分、長崎から大阪・京都・江戸と進んだ通信使一行は、朝鮮の町や村と日本の町とのあまりの違いに愕然としたことでしょう
見上げるような堂塔、綺麗に掃き清められた庭(や街道、賑わう町並み)
金さんには、とってもうらやましいものに思えたのでしょう
素直に書き綴っています
けれども、内心では、宮殿は別にして、うちの国には汚い、臭い、狭い。くっそ〜と思ったでしょうね
しかしながら金さんは礼節を知る大国朝鮮が礼儀も知らない倭奴に劣るはずはないと、俄然、プライドを取戻します
そうして、言います
『そうだ、犬のクソのような臭類(=穢奴=日本人)を全部追い払って
四千里六十州に及ぶこの素晴らしい土地を、朝鮮王のものとして
礼儀正しい、朝鮮族の住む国にしてやろう』
素晴らしいですね。この考え方、よそに素晴らしいものがあったら、努力して自分の国でも作ればよいのに(コピーばかり作ってもらっても困るけど)、日本人を追い出して取ってしまえなんて、
今の、朝鮮や中国の強盗団やピッキング窃盗団、暴力スリグループ以上の考え方です。
そして、今の在日の諸氏に綿々とこの考え方は引継がれているようです
結局、民族の資質・品格は時代が変ってもそう変らないようです
これは メッセージ 74361 (sawayakanikoniko さん)への返信です.
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