小説・李承晩の野望(3)
投稿者: minnnasugoi 投稿日時: 2006/04/25 22:56 投稿番号: [74343 / 95793]
(元投稿者の所感)
韓国国内外を問わず、李承晩ほど悪評著しい政治家はいない。
朝鮮戦争が北朝鮮軍の突然の南下によって始まった1950年6月25日、李承晩はソウル市民に対してこう云った。
「わが軍はすでに北へと進攻中である。よって市民には何の危険もない。君たちはいつも通り、仕事を続けていればよろしい」
そう云っておきながら、自らはさっさと漢江を渡り、南部へと逃亡。
のみならず、北朝鮮軍が更に南下できぬよう、漢江に架かる橋を爆破してしまったのである。
結果、逃げ遅れた多くのソウル市民が爆撃や戦闘の犠牲になったのは云うまでもない。
小説・李承晩の野望(三)
李承晩も、これだけ強行に対日政策を推し進めながら、竹島の領有権は別にしても李承晩ラインにはそれほど固執するつもりはなかった。
李承晩のさしあたっての目標が、拉致した日本人を人質として、日本政府から植民地支配に対する多額の賠償金をむしり取ることにあったからである。
体裁のいい身代金要求である。
しかし、国際的にも植民地支配に対する賠償金などは例がない。もしあればイギリス、フランスなどの列強国はそれだけで破産をしてしまう。
それが解っているからこそ、どの植民地でも賠償金問題などはおきないのだ。
が、李承晩は違う。日本が相手となれば如何なる理不尽でさえも正義とした。また、それをせざるを得ない理由が李承晩にはあった。
当時、韓国経済は困窮の極みにあり、エチオピア、ソマリアなどと共に世界三大貧国のひとつに数えられていた、そんな時期なのである。
アメリカからの援助物資により、かろうじて国家としての体をなしている現状、そのような現状がこのまま続けば、必然、現体制への不満が国内から生じる。
そしてそれは体制の危機へと繋がる。
で、李承晩はどうしたか?
古来、国内の不満が募り、かつ国家の団結をはからねばならぬとき、必ず行われたのが、
「眼前の敵をつくる」
と云う方法であった。
これは即効性が高いうえに金もかからない。
李承晩はこれをつかった。
「わが国家の経済を破壊し、ここまで我々を窮乏させた張本人は日本人である。真に恨むべきは、この不倶戴天の敵ではないのか」
内部不満の鉾先を、日本へと向けさせたのである。
李承晩は国民を煽ると同時に、徹底的な日本人敵視教育と朝鮮民族美化主義教育を推し進めた。
結果、もはや中毒と呼ぶにふさわしいまでに、李承晩は韓国国民を<反日>と云う名の薬物に依存させることに成功したのである。
今日もなお、韓国国民は李承晩のこの呪縛から逃れられないでいる。
李承晩は笑う。
「民衆と云うものは、なんと単純なる細胞の集合体であることか」
自国民までも独裁政権維持の道具としてしまうのが、李承晩の政治哲学なのであった。
哲学――、
と云えば、李承晩は米・プリンストン大学で哲学博士の学位を取得している。
人生、世界、事物すべての根源を<理性>によって追求すべきはずのその学問も、李承晩の政治人生においてはなんの役にも立たなかったのである。
−つづく−
竹島の所在は、<島根県隠岐郡五箇村字竹島無番地>である。
韓国国内外を問わず、李承晩ほど悪評著しい政治家はいない。
朝鮮戦争が北朝鮮軍の突然の南下によって始まった1950年6月25日、李承晩はソウル市民に対してこう云った。
「わが軍はすでに北へと進攻中である。よって市民には何の危険もない。君たちはいつも通り、仕事を続けていればよろしい」
そう云っておきながら、自らはさっさと漢江を渡り、南部へと逃亡。
のみならず、北朝鮮軍が更に南下できぬよう、漢江に架かる橋を爆破してしまったのである。
結果、逃げ遅れた多くのソウル市民が爆撃や戦闘の犠牲になったのは云うまでもない。
小説・李承晩の野望(三)
李承晩も、これだけ強行に対日政策を推し進めながら、竹島の領有権は別にしても李承晩ラインにはそれほど固執するつもりはなかった。
李承晩のさしあたっての目標が、拉致した日本人を人質として、日本政府から植民地支配に対する多額の賠償金をむしり取ることにあったからである。
体裁のいい身代金要求である。
しかし、国際的にも植民地支配に対する賠償金などは例がない。もしあればイギリス、フランスなどの列強国はそれだけで破産をしてしまう。
それが解っているからこそ、どの植民地でも賠償金問題などはおきないのだ。
が、李承晩は違う。日本が相手となれば如何なる理不尽でさえも正義とした。また、それをせざるを得ない理由が李承晩にはあった。
当時、韓国経済は困窮の極みにあり、エチオピア、ソマリアなどと共に世界三大貧国のひとつに数えられていた、そんな時期なのである。
アメリカからの援助物資により、かろうじて国家としての体をなしている現状、そのような現状がこのまま続けば、必然、現体制への不満が国内から生じる。
そしてそれは体制の危機へと繋がる。
で、李承晩はどうしたか?
古来、国内の不満が募り、かつ国家の団結をはからねばならぬとき、必ず行われたのが、
「眼前の敵をつくる」
と云う方法であった。
これは即効性が高いうえに金もかからない。
李承晩はこれをつかった。
「わが国家の経済を破壊し、ここまで我々を窮乏させた張本人は日本人である。真に恨むべきは、この不倶戴天の敵ではないのか」
内部不満の鉾先を、日本へと向けさせたのである。
李承晩は国民を煽ると同時に、徹底的な日本人敵視教育と朝鮮民族美化主義教育を推し進めた。
結果、もはや中毒と呼ぶにふさわしいまでに、李承晩は韓国国民を<反日>と云う名の薬物に依存させることに成功したのである。
今日もなお、韓国国民は李承晩のこの呪縛から逃れられないでいる。
李承晩は笑う。
「民衆と云うものは、なんと単純なる細胞の集合体であることか」
自国民までも独裁政権維持の道具としてしまうのが、李承晩の政治哲学なのであった。
哲学――、
と云えば、李承晩は米・プリンストン大学で哲学博士の学位を取得している。
人生、世界、事物すべての根源を<理性>によって追求すべきはずのその学問も、李承晩の政治人生においてはなんの役にも立たなかったのである。
−つづく−
竹島の所在は、<島根県隠岐郡五箇村字竹島無番地>である。
これは メッセージ 74342 (minnnasugoi さん)への返信です.
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