日本外交の昨今 - 韓国紙
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/10 19:58 投稿番号: [73197 / 95793]
【中央時評】日本外交の昨今
幣原喜重郎と松岡洋右。日本が大国外交を駆使した1920年代と30年代の両時期を代表する外相だ。成長の背景と思想、外交スタイルまで全く異なる2人は、「穏健・協力外交」と「強硬・一方外交」という日本外交の2つの典型を提示した。
大正民主主義が花咲いた20年代に外相を務めた幣原氏は、第1次世界大戦以降の国際協力体制の中で、日本の国益を伸ばそうとした人物。三菱財閥の婿だった同氏の外交には「三菱外交」という別称までつき、彼が駆使した協力外交というものも、実は帝国主義外交のもう一つの表現だった、と批判する声もある。
だが22年のワシントン会議などで彼は、英米両国との軍備統制に同意し、軍閥割拠時代にあった中国問題を扱う際も内政不干渉の原則を守ろうと努めた。とりわけ、米国が排日移民法を採択し列島が沸く中でも世論に便乗するよりは日米間の対立を緩和させる余地を残そうと努力した。こうした幣原外交は軍部強硬派から「柔弱外交」と非難されたが主要諸国との共存・共栄を重視した彼の外交は「国際協力外交」の典型に評価されている。
幣原外交は、31年の満州事変以後の相次いだクーデターで、軍部と右派が浮上するにつれ、退かれた。幣原外交が退いた後、日本外交を象徴したのが松岡外交だった。満州事変以降、殺到する批判の中、国際連盟からの脱退を主導した人物が松岡駐ジュネーブ大使だった。
13歳のときに渡米、留学へ向かった後、10年にわたる苦学のすえ、オリゴン大学を卒業した松岡氏は、米西部で激化していた日本人への差別を実感しながら成長した。帰国した後、外務省に入った同氏は、東京大学出身が布陣している外務省での勤務を17年ぶりに終え、満鉄総裁、衆議院議員などを経て大衆政治力を積んだ。
幣原外交を批判した松岡氏は、33年にジュネーブ大使に任命され、国際連盟の脱退を主導した後、欧州大戦が激しかった40年、外相に任命される。国粋的右翼の信念で武装した松岡氏は同年9月、ドイツ・イタリアと3国同盟を締結することによって、米国との和解の扉を完全に封鎖してしまった。
松岡外交の特徴は、国際条約や信義などは眼中に置かない点だった。対米交渉よりは3国同盟を重視し、大衆的な人気を自身の外交構想を実現するための政治基盤に見なした。そうした松岡外交は、海軍の繰り返される反対などで確認されたように、情勢判断力に欠けており、後ほど天皇も回顧録に不快感を示したほど突出的なものだった。
国際協力主義と行きすぎた一方主義を代弁する2人のコントラストを思い出すのは、靖国神社参拝や教科書問題などをめぐり現れている小泉政権の態度のためだ。そうした動向の背景には、自民党の支持基盤である日本遺族会への配慮と、首相など政治家自身の独特な歴史認識が働いている。
しかし、日本の保守派は「一方的な過去認識」を露骨に表明することが、それらが重視してやまない安保環境に、否定的な影響を及ぼす、との事実に気付かなければならない。最近学界では、ある国家や社会が周辺国に与えるイメージが、その国への敵対意識や親しみを作るうえで重要な役割を果たす、との見方が広がっている。
日本が過去を美化しているように思われるほど、アジア各国では日本への警戒心が高まる。今日の日本は成熟した民主国家であり、30年代の日本とは明らかに異なる。だが、日本指導層の発言と行動が松岡式の一方主義を思い出させるものになるとしたら、今日の日本にも、損失を与える結果につながるだろう。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74573&servcode=100§code=120
↑
冷静な論調ですが、小泉首相の靖国参拝はこのようにうつるのかしら...。
韓国は、黄砂で大変らしいですね。これが日本からだったら、損害賠償請求ものかもね。
○僧4
幣原喜重郎と松岡洋右。日本が大国外交を駆使した1920年代と30年代の両時期を代表する外相だ。成長の背景と思想、外交スタイルまで全く異なる2人は、「穏健・協力外交」と「強硬・一方外交」という日本外交の2つの典型を提示した。
大正民主主義が花咲いた20年代に外相を務めた幣原氏は、第1次世界大戦以降の国際協力体制の中で、日本の国益を伸ばそうとした人物。三菱財閥の婿だった同氏の外交には「三菱外交」という別称までつき、彼が駆使した協力外交というものも、実は帝国主義外交のもう一つの表現だった、と批判する声もある。
だが22年のワシントン会議などで彼は、英米両国との軍備統制に同意し、軍閥割拠時代にあった中国問題を扱う際も内政不干渉の原則を守ろうと努めた。とりわけ、米国が排日移民法を採択し列島が沸く中でも世論に便乗するよりは日米間の対立を緩和させる余地を残そうと努力した。こうした幣原外交は軍部強硬派から「柔弱外交」と非難されたが主要諸国との共存・共栄を重視した彼の外交は「国際協力外交」の典型に評価されている。
幣原外交は、31年の満州事変以後の相次いだクーデターで、軍部と右派が浮上するにつれ、退かれた。幣原外交が退いた後、日本外交を象徴したのが松岡外交だった。満州事変以降、殺到する批判の中、国際連盟からの脱退を主導した人物が松岡駐ジュネーブ大使だった。
13歳のときに渡米、留学へ向かった後、10年にわたる苦学のすえ、オリゴン大学を卒業した松岡氏は、米西部で激化していた日本人への差別を実感しながら成長した。帰国した後、外務省に入った同氏は、東京大学出身が布陣している外務省での勤務を17年ぶりに終え、満鉄総裁、衆議院議員などを経て大衆政治力を積んだ。
幣原外交を批判した松岡氏は、33年にジュネーブ大使に任命され、国際連盟の脱退を主導した後、欧州大戦が激しかった40年、外相に任命される。国粋的右翼の信念で武装した松岡氏は同年9月、ドイツ・イタリアと3国同盟を締結することによって、米国との和解の扉を完全に封鎖してしまった。
松岡外交の特徴は、国際条約や信義などは眼中に置かない点だった。対米交渉よりは3国同盟を重視し、大衆的な人気を自身の外交構想を実現するための政治基盤に見なした。そうした松岡外交は、海軍の繰り返される反対などで確認されたように、情勢判断力に欠けており、後ほど天皇も回顧録に不快感を示したほど突出的なものだった。
国際協力主義と行きすぎた一方主義を代弁する2人のコントラストを思い出すのは、靖国神社参拝や教科書問題などをめぐり現れている小泉政権の態度のためだ。そうした動向の背景には、自民党の支持基盤である日本遺族会への配慮と、首相など政治家自身の独特な歴史認識が働いている。
しかし、日本の保守派は「一方的な過去認識」を露骨に表明することが、それらが重視してやまない安保環境に、否定的な影響を及ぼす、との事実に気付かなければならない。最近学界では、ある国家や社会が周辺国に与えるイメージが、その国への敵対意識や親しみを作るうえで重要な役割を果たす、との見方が広がっている。
日本が過去を美化しているように思われるほど、アジア各国では日本への警戒心が高まる。今日の日本は成熟した民主国家であり、30年代の日本とは明らかに異なる。だが、日本指導層の発言と行動が松岡式の一方主義を思い出させるものになるとしたら、今日の日本にも、損失を与える結果につながるだろう。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74573&servcode=100§code=120
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冷静な論調ですが、小泉首相の靖国参拝はこのようにうつるのかしら...。
韓国は、黄砂で大変らしいですね。これが日本からだったら、損害賠償請求ものかもね。
○僧4
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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