中国の反日デモ

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Re: ルメイ少将についてを、入れておく。

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/02/25 20:01 投稿番号: [69979 / 95793]
元対日戦略爆撃軍団長少将のカーチス・E・ルメイ米空軍参謀総長は、航空自衛隊の再建に多くの献身を行いその功績で、最年長記録の超音速パイロット元空将の源田実国会議員の推薦で叙勲されました。
当時の日本の防空システムのコンピューター化による半自動防空システムの研究開発を行った。このシステムは迎撃戦闘機F104戦闘機部隊と防空ミサイル部隊を各地のレーダーでデータリンクし合理的な半自動防空する世界でアメリカに次ぐ大規模防空システムで、日本の防空力は飛躍的に高まり、この最先端技術的な成果は大きく、新幹線の座席予約システム、銀行のオンラインシステムなどに多用され日本経済の飛躍的な高度成長の原動力の大きな一つで有った。

BADGE
半自動防空システム
昭和30年代の後半、防衛庁は近代的防空システムの導入を決定、これに対して米国のウエスティングハウス社、ヒューズ社、リットン社等の売込み競争が激烈に開始された。基本仕様は「レーダ・サイトに設置する国産三次元航空警戒管制レーダ(三菱電気)と連接し、レーダー情報をコンピュータ処理して邀撃緒言を自動算定し、邀撃機を目標に対して有利な攻撃位置に誘導する」というものであった。_
F104迎撃戦闘機
F-104 は、ロッキード社で開発されたアメリカ初のマッハ2級のジェット戦闘機である。愛称はスターファイター(Starfighter)。日本の航空自衛隊では栄光という愛称を持つほか、日本のファンの間では「マルヨン」の愛称で親しまれる。NF-104
初飛行は1954年2月。 1958年5月18日F-104Aは2,260km/hの速度記録を、1959年12月14日にF-104Cが31,500mの高度記録を作った。
日本では最後の有人戦闘機とも呼ばれた。細い胴体に極端に小さな主翼。日本では三菱重工がライセンス生産していたことから、空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もある。
航空自衛隊でもG型を日本独自のドクトリンに合わせ火器管制装置を交換した F-104J を採用した。これらの機体はアメリカ軍による資金援助を受けて配備される事となって、三菱重工業により178機がライセンス生産された。1962年(昭和37)から防空戦闘機として運用開始、複座の練習機F-104DJの20機を含めると200機ものF-104が運用され、「マルヨン」として親しまれた。F-104J は対地攻撃能力と空中給油能力を持たないが、機銃と空対空ミサイルを標準装備できるようになっている。

全長:16.7 m(ピトー管含まず)全幅:6.69 m全高:4.11 m
最高速度:Mach 2.2
エンジン:GE製   J79-GE-7 ×1基推力:A/B 7170 kgf
最大離陸重量:12,490 kg
固定武装:20mm機銃1門
F-104DJ - J型のD型(複座訓練型)。20機が完成機輸入され、航空自衛隊で運用された。
F-104J - 日本の航空自衛隊向けの迎撃戦闘機型。1962年から178機が三菱重工業によりライセンス生産された。機銃(後期の機体は最初から装備しているものの、実は当初は標準装備でなかったようだ。初期の機体は装備しておらず(後に全機ではないものの改修で取り付け)、装備しなかった機体はその搭載スペースを増設タンクという燃料タンクに当てていた)のほか、4発のサイドワインダー空対空ミサイルを搭載できるが、爆撃能力は持っていない。
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