ジャーナリスト雇い南京大虐殺事件捏造
投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2005/07/04 07:10 投稿番号: [52615 / 95793]
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06b.htm
虐殺記事は、国民党のエージェントが書いた
初期の報道としては、南京陥落半年後に、英国の『マンチェスター・ガーディアン』紙の中国特派員ハロルド・ティンバリーが、日本軍の暴行批判記事を書いた。この記事は記者が一度も南京に行かずに書いた伝聞記事だった。それを基にティンパーリは、昭和13年(1938)7月に『戦争とは何かー中国における日本軍の暴虐』を発行した。
箝口令は引かれていないのに誰も伝えていない
南京入城には、百人以上の日本人の記者やカメラマンが同行した。当時はまだ報道管制が行われていない。しかし、戦後、日本人は東京裁判で報道されるまで誰も「大虐殺」を知らなかった。見ていれば、報道しただろう。また、陥落の直後の南京には、大宅壮一、西条八十、草野心平、石川達三、林芙美子らのジャーナリストや作家・文人が行っていた。しかし、戦後言論の自由が完全に保証されてからも、誰一人、「大虐殺」を書き記したり、発表した者がいない。
9. 国際委員会による殺人は49件のみ
国際委員会は日本の行動に関して61通もの手紙を書いて各大使館に送った。同委員会が抗議した日本軍の非行は425件。但し、これらの一つ一つの検証はなされていないことを、スミス書記長が認めている。ラーベ国際委員会委員長は、最終的な報告書で、殺人は49件と報告している。但し、同様に検証は行われていない。
このラーベが記した日記を基にした本が『南京の真実』である。ラーベがヒトラーにあてて書いた上申書では南京の犠牲者は、5〜6万人。そのうち3万は下関(シャーカン)で戦死した兵隊だと書いている。市内で戦死した兵隊の人数も引くと、犠牲者は1万人もいないことになる。仮に、ラーベの著書によっても、20〜30万人規模の虐殺という東京裁判の判決と、それに依拠する大虐殺説は、全く成り立たない。
10. むしろ国際委員会からは感謝状が出た
南京落城近しというときに、英米仏独は国際委員会を作って、非戦闘員である市民を収容する安全区を作った。日本は安全区に対して中立を守るのであればこちらも中立を守ると約束し、砲撃しなかった。これに対し、ラーベ委員長は日本軍に対して、「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡を取り得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っている。
11. 食料を送って受領書と感謝状を受けた
難民区に20万もの人がひしめいて、食糧が不足したため、日本軍は、食料、被服等を給与して民心の安定を図った。特に、昭和13年正月には大量の食糧を送り、紅卍会支部長より受領書、感謝状が贈られている。日本から食糧をもらっている当時の写真はいっぱいある。それに対して、虐殺の写真は1枚もない。
プロパガンダ写真研究室
http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Esus/door.htm
虐殺記事は、国民党のエージェントが書いた
初期の報道としては、南京陥落半年後に、英国の『マンチェスター・ガーディアン』紙の中国特派員ハロルド・ティンバリーが、日本軍の暴行批判記事を書いた。この記事は記者が一度も南京に行かずに書いた伝聞記事だった。それを基にティンパーリは、昭和13年(1938)7月に『戦争とは何かー中国における日本軍の暴虐』を発行した。
箝口令は引かれていないのに誰も伝えていない
南京入城には、百人以上の日本人の記者やカメラマンが同行した。当時はまだ報道管制が行われていない。しかし、戦後、日本人は東京裁判で報道されるまで誰も「大虐殺」を知らなかった。見ていれば、報道しただろう。また、陥落の直後の南京には、大宅壮一、西条八十、草野心平、石川達三、林芙美子らのジャーナリストや作家・文人が行っていた。しかし、戦後言論の自由が完全に保証されてからも、誰一人、「大虐殺」を書き記したり、発表した者がいない。
9. 国際委員会による殺人は49件のみ
国際委員会は日本の行動に関して61通もの手紙を書いて各大使館に送った。同委員会が抗議した日本軍の非行は425件。但し、これらの一つ一つの検証はなされていないことを、スミス書記長が認めている。ラーベ国際委員会委員長は、最終的な報告書で、殺人は49件と報告している。但し、同様に検証は行われていない。
このラーベが記した日記を基にした本が『南京の真実』である。ラーベがヒトラーにあてて書いた上申書では南京の犠牲者は、5〜6万人。そのうち3万は下関(シャーカン)で戦死した兵隊だと書いている。市内で戦死した兵隊の人数も引くと、犠牲者は1万人もいないことになる。仮に、ラーベの著書によっても、20〜30万人規模の虐殺という東京裁判の判決と、それに依拠する大虐殺説は、全く成り立たない。
10. むしろ国際委員会からは感謝状が出た
南京落城近しというときに、英米仏独は国際委員会を作って、非戦闘員である市民を収容する安全区を作った。日本は安全区に対して中立を守るのであればこちらも中立を守ると約束し、砲撃しなかった。これに対し、ラーベ委員長は日本軍に対して、「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡を取り得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っている。
11. 食料を送って受領書と感謝状を受けた
難民区に20万もの人がひしめいて、食糧が不足したため、日本軍は、食料、被服等を給与して民心の安定を図った。特に、昭和13年正月には大量の食糧を送り、紅卍会支部長より受領書、感謝状が贈られている。日本から食糧をもらっている当時の写真はいっぱいある。それに対して、虐殺の写真は1枚もない。
プロパガンダ写真研究室
http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Esus/door.htm
これは メッセージ 52593 (goinkyo44 さん)への返信です.
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