日本を拠点に中国近代化を成し遂げた(2)
投稿者: npo23122000 投稿日時: 2005/05/21 18:57 投稿番号: [37655 / 95793]
日本を拠点に中国近代化を成し遂げた革命の父・孫文(2)
当時、日本には、興中会の腹心であった陳少白ら革命のメンバーがたくさん亡命しており、
孫文は陳の家に身を置いた後、日本での居住を許されます。そして、1900年義和団の
乱に乗じて中国革命同盟会を組織し、恵州で二度目の挙兵を行います。
しかし、この挙兵も失敗。孫文は欧米を回り、1905年日本で再び革命組織を結集して、
三民主義を唱えます。三民主義とは、民族・民権・民生の三つです。
民族主義は、清朝による満州民族の支配を打倒、帝国主義列強の圧迫を排除して、漢民族の
独立を図ろうと言う主張です。民権主義は今でいうデモクラシー。民生主義は、分配を
公平にして、民衆の生活を安定させようという考え方です。
孫文の革命組織結成の背景には、多くの日本人の資金的、献身的な援助がありました。
なかでも、一身をなげうって尽くした明治の志士に、宮崎淘天(とうてん)がいます。
孫文の壮大なロマンに心を打たれ淘天は、孫文と深い親交を結び、生涯を彼の革命支援に
捧げました。
1911年、中国革命同盟会は三度蜂起、孫文を臨時政府の大総統として迎えました。
翌年、二百六十八年間、中国を統治した清朝は滅亡し、中華民国が誕生します。
これは同時に、二千年以上にわたる帝政中国の終焉でした。 世にいう辛亥革命です。
臨時大総統に推された孫文でしたが、まもなく軍閥の代表、袁世凱が実権を握り、
孫文は皇帝の退位とともにその座を退きました。
独裁体制を固めていく袁世凱に、孫文は14年、真の民主政府を樹立するために再び
立ち上がります。中華革命党を結成して対抗し、袁世凱が16年に死亡した後も、
軍閥政府を打倒するために広東にもうひとつの政府を打ち立てたのです。
1918年のことです。
この時できたのが中国国民党で、軍司令官を務めていたのが 蒋介石です。
また、21年に誕生した中国共産党の指導者、毛沢東や周恩来も孫文の国民党分派で、
三民主義を理論的基礎にしていました。
つまり、最後は台湾に追いやられた蒋介石も、中華人民共和国を打ち建てた毛沢東も、
ともに孫文の思想から出発しているのです。
蒋介石は親米路線、毛沢東は親ソ路線で袂を分かったものの、ふたりとも孫文の弟子、
源流は同じです。
言い換えれば、現在の中国は、孫文と日本の交流の上に建国されたのです。
「戦後の歴史の事実」 前野 徹 著より
当時、日本には、興中会の腹心であった陳少白ら革命のメンバーがたくさん亡命しており、
孫文は陳の家に身を置いた後、日本での居住を許されます。そして、1900年義和団の
乱に乗じて中国革命同盟会を組織し、恵州で二度目の挙兵を行います。
しかし、この挙兵も失敗。孫文は欧米を回り、1905年日本で再び革命組織を結集して、
三民主義を唱えます。三民主義とは、民族・民権・民生の三つです。
民族主義は、清朝による満州民族の支配を打倒、帝国主義列強の圧迫を排除して、漢民族の
独立を図ろうと言う主張です。民権主義は今でいうデモクラシー。民生主義は、分配を
公平にして、民衆の生活を安定させようという考え方です。
孫文の革命組織結成の背景には、多くの日本人の資金的、献身的な援助がありました。
なかでも、一身をなげうって尽くした明治の志士に、宮崎淘天(とうてん)がいます。
孫文の壮大なロマンに心を打たれ淘天は、孫文と深い親交を結び、生涯を彼の革命支援に
捧げました。
1911年、中国革命同盟会は三度蜂起、孫文を臨時政府の大総統として迎えました。
翌年、二百六十八年間、中国を統治した清朝は滅亡し、中華民国が誕生します。
これは同時に、二千年以上にわたる帝政中国の終焉でした。 世にいう辛亥革命です。
臨時大総統に推された孫文でしたが、まもなく軍閥の代表、袁世凱が実権を握り、
孫文は皇帝の退位とともにその座を退きました。
独裁体制を固めていく袁世凱に、孫文は14年、真の民主政府を樹立するために再び
立ち上がります。中華革命党を結成して対抗し、袁世凱が16年に死亡した後も、
軍閥政府を打倒するために広東にもうひとつの政府を打ち立てたのです。
1918年のことです。
この時できたのが中国国民党で、軍司令官を務めていたのが 蒋介石です。
また、21年に誕生した中国共産党の指導者、毛沢東や周恩来も孫文の国民党分派で、
三民主義を理論的基礎にしていました。
つまり、最後は台湾に追いやられた蒋介石も、中華人民共和国を打ち建てた毛沢東も、
ともに孫文の思想から出発しているのです。
蒋介石は親米路線、毛沢東は親ソ路線で袂を分かったものの、ふたりとも孫文の弟子、
源流は同じです。
言い換えれば、現在の中国は、孫文と日本の交流の上に建国されたのです。
「戦後の歴史の事実」 前野 徹 著より
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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